運慶と聞けば、すぐに快慶を思い浮かべる方は多いはず。
でも、快慶という名前は知っているけれど、運慶といっしょに制作した金剛力士像以外、どんな仏像を残したのかはよくわからないのではないでしょうか。
そんなあなたのために、快慶の仏像を一覧でご紹介。
運慶と快慶の関係と違いも解説します^^
運慶と快慶がつくった金剛力士像とは?
運慶と必ず並び称されるのが快慶(かいけい:生没年不明)です。
快慶は、運慶と同じく、鎌倉時代初期に活躍した仏師として有名です。
その快慶の代表作の1つに、国宝となっている東大寺南大門の「金剛力士像」(仁王像)があります。
こちらは阿形像↓↓↓
こちらは吽形像↓↓↓
口を開けた阿形(あぎょう)の像と、口を閉じた吽形(うんぎょう)の像の2体で1セットです。
金剛力士像は、日本史の教科書にたいてい写真が載っていますが、修学旅行や観光で実物を見た方も多いでしょう。
どちらも筋骨隆々でマッチョな体型、しかも8メートルを超える高さで、すさまじい形相で上から見下ろされるので、その迫力に圧倒されたのではないでしょうか。
この2体の金剛力士像は、実は、快慶が運慶とともに20人の仏師を率いて造り上げました。
完成したのは、鎌倉時代初期の1203年。
制作期間はわずか69日!
なぜ、運慶と快慶は、これほどの短期間で金剛力士像を完成させることができたのでしょうか?
1988年(昭和63年)から1993年(平成5年)の5年をかけて金剛力士像の修理が行われた際、それぞれの像が3000個の部品から組み立てられていることがわかりました。
つまり、多数の部品を同時並行でつくり、運慶と快慶の指揮の下、まるでプラモデルのように一気に組み立てたから短期間でつくりあげることができたのです。
これは「寄木造」(よせぎづくり)と呼ばれる工法で、1本の木をコツコツ彫る、それまでの「一木造」(いちぼくづくり)に代わる技術でした。
仏像づくりにこんな革新をもたらした運慶と快慶って、ほんとうにすごい仏師だったんですね^^
快慶がつくった仏像は? 一覧で紹介!
金剛力士像の他に、運慶と快慶はどのような仏像をつくったのでしょうか?
運慶の作品は前回の記事でご紹介したので、ここでは快慶がつくった仏像を一覧にしてご紹介します。
快慶の在銘作品
弥勒菩薩像(アメリカ、ボストン美術館) 弥勒菩薩像(京都、醍醐寺)重要文化財 阿弥陀如来像(京都、遣迎院)重要文化財 大日如来像(滋賀、石山寺)重要文化財 阿弥陀如来および両脇侍像(兵庫 浄土寺)国宝 四天王像(和歌山 金剛峯寺)重要文化財 執金剛神像・深沙大将像(和歌山 金剛峯寺)重要文化財 孔雀明王像(和歌山 金剛峯寺)重要文化財 阿弥陀如来像(兵庫 浄土寺)重要文化財 菩薩面(兵庫 浄土寺)重要文化財 阿弥陀如来像(広島 耕三寺)重要文化財 菩薩像(静岡 伊豆山浜生協会) 僧形八幡神像(奈良 東大寺)国宝 如来像 頭部(三重 新大仏寺)重要文化財 如来像 手(アメリカ ハーバード大学美術館) 菩薩像 耳(個人) 阿弥陀如来像(奈良 東大寺)重要文化財 不動明王像(京都 醍醐寺)重要文化財 金剛力士像(奈良 東大寺)国宝 文殊菩薩および侍者像(奈良 安倍文殊院)国宝 大日如来像(東京芸術大学) 阿弥陀如来像(栃木 真教寺) 阿弥陀如来像(京都 松尾寺)重要文化財 阿弥陀如来像(大阪 八葉蓮華寺)重要文化財 阿弥陀如来像(奈良 安養寺)重要文化財 阿弥陀如来像(奈良 西方寺)重要文化財 阿弥陀如来像(和歌山 遍照光院)重要文化財 阿弥陀如来像(京都 悲田院) 地蔵菩薩像(京都 如意寺) 地蔵菩薩像(アメリカ メトロポリタン美術館) 執金剛神像・深沙大将像(京都 金剛院)重要文化財 阿弥陀如来像(大阪 大圓寺) 地蔵菩薩像(奈良 東大寺)重要文化財 阿弥陀如来像(岡山 東壽院)重要文化財 地蔵菩薩像(大阪 藤田美術館)重要文化財 十大弟子像(京都 大報恩寺)重要文化財 阿弥陀如来像(奈良 光林寺)重要文化財 阿弥陀如来および両脇侍像(和歌山 光臺院)重要文化財 釈迦如来像(アメリカ キンベル美術館) 阿弥陀如来像(三重 安楽寺) 阿弥陀如来像(滋賀 圓常寺)重要文化財 阿弥陀如来像(京都 大行寺)重要文化財 阿弥陀如来像(奈良 西方院)重要文化財 金剛薩埵像(京都 隨心院)重要文化財 |
快慶の重要作品
千手観音像(京都 清水寺)重要文化財 菩薩像(京都 勝龍寺) 菩薩像(アメリカ フリーア美術館) 阿弥陀如来像(京都 知恩寺) 阿弥陀如来像(大阪 藤田美術館) 観音菩薩像・勢至菩薩像(栃木 地蔵院) 観音菩薩像(個人) 金剛力士像(京都 金剛院)重要文化財 善導大師像(奈良 来迎寺)重要文化財 不動明王像(アメリカ メトロポリタン美術館) 兜跋毘沙門天像(京都 青蓮院)重要文化財 阿弥陀如来像(浄土宗)重要文化財 阿弥陀如来像(京都 正法寺)重要文化財 阿弥陀如来像(石川 尾添区) 西大門勅額八天王像(奈良 東大寺)重要文化財 不動明王像(京都 正壽院)重要文化財 聖観音像(奈良 東大寺)重要文化財 菩薩形像(静岡 鉄舟寺) 阿弥陀如来像(静岡 新光明寺)重要文化財 阿弥陀如来像(三重 専修寺)重要文化財 阿弥陀如来像(京都 極楽寺)重要文化財 |
現存する快慶の仏像は、60点以上にも上ります。
運慶の倍以上ですね。
中世以前の仏師としては、もっとも多くの仏像を残しています。
なぜ快慶が多くの仏像を残しているのかというと、運慶とくらべ、たしかに本人の作品だとわかっている「真作」(しんさく)が多いことが理由の1つに挙げられるでしょう。
快慶は、自身の仏像に「巧匠アン(梵字)阿弥陀仏」という銘を刻んでいました。
当時、銘を刻む仏師は珍しかったので、すぐにわかるのです。
ちなみに、アメリカのボストン美術館に所蔵されている「弥勒菩薩像」が、現存する快慶の仏像のなかでもっとも古いと考えられています。
運慶も自身の仏像に銘を刻んでいてくれたら、もっと真作が多かったでしょうね。
そうした点は、やや残念です。
運慶と快慶、2人の関係はどうだった? 違いは?
運慶と快慶が親子や兄弟、親戚だと思っている方は多いのではないでしょうか?
私もかつては、そう思い込んでいました(汗)
でも、2人のあいだに血のつながりはありません!
一方、運慶と快慶は、2人とも運慶の父・康慶(こうけい)の弟子です。
なので、「兄弟弟子」という関係にはあります。
どちらが年上だったのかは明らかではありませんが……
ちなみに、2人の仏像の作風は明らかに異なっています。
運慶の仏像は、立体感があって迫真的。
一方の快慶の仏像は、絵画的で端整。
ひょっとしたら、作品だけでなく、性格も対照的だったのかもしれませんね^^
▼運慶と快慶が属した慶派について知りたい方は、こちら↓↓↓

まとめ
- 東大寺南大門の金剛力士像(仁王像)は国宝で、運慶と快慶の合作。寄木造が特徴
- 現存する快慶の仏像は60体以上
- 運慶と快慶は血縁ではなく、兄弟弟子
- 運慶の仏像は立体感があり迫真的、快慶の仏像は絵画的で端整