大河ドラマ(2027年)『逆賊の幕臣』はどんなドラマ?
2027年、幕臣・小栗忠順(おぐり・ただまさ)の生誕200年という節目に放送される大河ドラマ『逆賊の幕臣』は、勝者の歴史観では語り尽くせない幕末の真実を「敗者」の視点から描き出す意欲作です。
主人公は、勝海舟(かつ・かいしゅう)のライバルであり、「逆賊」として歴史の闇に葬られた天才・小栗忠順。
小栗忠順は日本初の遣米使節として欧米の先進文明を目の当たりにし、造船所の建設や軍制改革、商社の設立など、日本の近代化に向けたグランドデザインを幕府の立場から描き上げました。
司馬遼太郎が「明治の父」と称えた功績は、明治新政府の誕生とともに封印されてしまいます。
『逆賊の幕臣』が映し出す幕末は、物価高やフェイクニュース、社会の分断、そして大国のパワーゲームに翻弄(ほんろう)される現代社会の写し鏡になっています。
一寸先も見えない不確実な時代のなか、国家の独立を守るために知略と誠実さを武器に戦い続けた小栗忠順の姿は、見る者の心をつかんで離さないはずです。
外交や情報戦を軸に展開されるスリリングな人間ドラマを通して、私たちが知る歴史の裏側にあった、もう1つの〝ありえたかもしれない未来〟の可能性を視聴者へ投げかける作品です。
大河ドラマ(2027年)『逆賊の幕臣』のストーリーは?
1860年、大老・井伊直弼(いい・なおすけ)にその才を見出された名門旗本の小栗忠順は、日本初の遣米使節として大海原へ乗り出します。
そこで目にした圧倒的な西洋文明は、小栗忠順に〝近代国家への転換〟という確固たる使命を刻み込みました。
しかし、帰国した小栗忠順を待ち受けていたのは、恩人である井伊直弼の暗殺と、開国を巡る激しい世論の分断、そして列強の脅威に晒(さら)された瀕死(ひんし)の江戸幕府でした。
その後、小栗忠順は勘定奉行(かんじょうぶぎょう)などの要職を歴任し、フランスとの提携や造船所建設、軍制改革といった起死回生の策を次々と打ち出していきます。
一方、同じ渡米を経験しながらも異なる未来を描く勝海舟は、幕府という枠組みを解体してでも新時代を切り拓こうと画策していました。
幕府を〝最強の組織〟へ改良しようとする理系の天才・小栗忠順と、幕府を〝踏み台〟にしようとする人たらしの勝海舟。
2人は反目し合いながらも、どこかで互いの才能を認め合う奇妙なライバル関係を築いていきます。
不透明な動きをする15代将軍・徳川慶喜(とくがわ・よしのぶ)と、倒幕へ突き進む薩長勢力との間で、小栗忠順は〝一寸先は闇〟の外交・情報戦を戦い抜いていきます。
しかし、明治という時代における勝者が決まるなか、日本の近代化を誰よりも先導したはずの小栗忠順は、皮肉にも「逆賊」の汚名を着せられ、歴史の表舞台から消し去られることになるのです。
このように『逆賊の幕臣』は、国家の自立と民の安定を願い、敗者として散っていった孤高の幕臣が不確実な時代に刻んだ情熱を描いていきます。
大河ドラマ(2027年)『逆賊の幕臣』の登場人物とキャスト
主人公・小栗忠順(小栗上野介忠順)
小栗忠順(おぐり・ただまさ)は、幕末の動乱期において卓越した先見性と実行力により、日本の近代化の礎(いしずえ)を築いた幕臣です。
1860年の遣米使節団では目付として渡米し、通貨交換比率の不平等を是正すべく、米政府と対等に渡り合い、「タフ・ネゴシエーター」としてその名を轟(とどろ)かせました。
この派遣で西洋の圧倒的な工業力に触れた小栗忠順は、現地から持ち帰った1本のネジを、日本の再興を誓う象徴としました。
帰国後は、国防の要として横須賀製鉄所の建設を断行しました。
この施設はたんなる造船所に留まらず、近代的な経営・教育システムの模範となり、のちの日本海軍の土台を築きました。
また、日本初の株式会社とされる「兵庫商社」の設立やフランス式陸軍の整備、関税率の改定など、軍事から経済にいたるまで多岐にわたる分野で日本の自立を模索しました。
しかし、大政奉還後は主戦論を唱えたことで新政府軍から警戒され、隠居先の権田村で〝幕府の金を隠匿した〟という疑いにより、取り調べもないまま斬首され、非業(ひごう)の死を遂げました。
しかし、小栗忠順が蒔(ま)いた近代化の種は明治政府へ受け継がれ、作家・司馬遼太郎から「明治国家の父の一人」と称賛されました。
なお、小栗忠順は、小栗上野介忠順(おぐり・こうずけのすけ・ただまさ)とも呼ばれています。
▼小栗忠順のあまりにも無念すぎる死の真相を徹底解説!詳しくはこちらをクリック↓↓↓

松坂桃李
松坂桃李(まつざか・とおり)さんは、1988年10月17日生まれで、神奈川県茅ヶ崎市出身です。
2008年にモデルオーディションでグランプリを獲得し芸能界入りすると、翌年には『侍戦隊シンケンジャー』のシンケンレッド役で俳優デビューしました。
その後、大学を中退して役者の道一本に絞るという人生最大の決断を経て、着実にキャリアを積み上げていきます。
その演技力は高く評価されており、映画『孤狼の血』(2018年)で最優秀助演男優賞、そして映画『新聞記者』(2019年)で最優秀主演男優賞と、日本アカデミー賞の頂点を相次いで極めました。
そして、2027年のNHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』では小栗上野介忠順役で主演を務めます。
松坂桃李さんは、今や名実ともに日本を代表する役者へと成長を続けています。
私生活では、2020年に女優の戸田恵梨香(とだ・えりか)さんと結婚し、現在は一児の父となっています。
名前の「桃李」ですが、古代中国の歴史家・司馬遷(しばせん)の言葉にちなんでいるそうで、〝徳があり慕(した)われる人であってほしい〟という両親の強い願いと、〝自分らしさを育んでほしい〟という深い愛情が込められています。
精力的な仕事ぶりとは裏腹に、休日は自宅で過ごすことを好むインドア派であり、カードゲームや漫画を愛する飾らない素顔も、多くのファンを惹(ひ)きつける大きな魅力となっています。
▼なぜ松坂桃李は大学を中退したのか?その衝撃の理由とは?こちらをクリック↓↓↓

以下、主な登場人物を50音順に紹介
安積艮斎
安積艮斎(あさか・ごんさい:1791–1861)は、幕末の混迷期に「幕末の儒宗」(じゅそう:儒家の大家)と仰がれた最高峰の朱子学者です。
陸奥国郡山の神社宮司の三男として誕生しましたが、学問への情熱を抑えきれず、17歳で単身江戸へと出奔(しゅっぽん)しました。
佐藤一斎(さとう・いっさい)や林述斎(はやし・じゅっさい)のもとで研鑽を積み、朱子学を主軸としながらも陽明学などの諸説を柔軟に吸収する、実践的で開明的な学風を確立しました。
安積艮斎の最大の功績は、圧倒的な教育実績にあります。
神田駿河台に開いた私塾「見山楼」(けんざんろう)や、のちに教授を務めた昌平黌(しょうへいこう:昌平坂学問所)で安積艮斎から教えを受けた門人は軽く2000名を超えていると言われています。
その顔触れは、吉田松陰(よしだ・しょういん)、高杉晋作(たかすぎ・しんさく)、岩崎弥太郎(いわさき・やたろう)、小栗忠順、前島密(まえじま・ひそか)など、維新の志士から近代日本を設計した官僚、実業家まで多岐にわたり、明治という新時代の礎(いしずえ)を築く人材を数多く輩出しました。
また、安積艮斎は優れた国際感覚を持つ論客でもありました。
アヘン戦争を機に海外情勢を分析した『洋外紀略』(ようがいきりゃく)を著し、海上防衛の重要性を説きました。
その博識を買われて60歳で幕府最高学府の教授に抜擢されると、ペリー来航時のアメリカ国書翻訳やロシアへの返書起草など、外交の最前線でも辣腕(らつわん)を振るいました。
安積艮斎は、漢文という当時の国際言語を自在に操り、国防と教育の両面から日本の進むべき道を示したのです。
▼安積艮斎の人材育成の凄さを解明!詳しくはこちらをクリック↓↓↓

中村雅俊
1951年、宮城県女川町(おながわちょう)に生まれた中村雅俊(なかむら・まさとし)さんは、慶應義塾大学経済学部在学中に文学座へ入所し、俳優としての第一歩を踏み出しました。
1974年にドラマ『われら青春!』の主役でデビューを飾ると、挿入歌「ふれあい」がミリオンセラーとなり、一躍国民的スターとなりました。
以降、『俺たちの旅』をはじめとする数々の名作ドラマで主演を務め、これまでに34本以上の連続ドラマで主役を演じています。
俳優業と並行して歌手活動も精力的に行い、デビュー以来欠かすことなく毎年開催している全国ツアーは、通算1600回を超えました。
その温厚で誠実なキャラクターから、長年にわたり理想の父親・夫像として幅広い世代から支持を集めてきました。
また、故郷への思いが深く、東日本大震災後は女川町の復興支援に尽力。
みずからの楽曲を通じて被災地の人びとに寄り添い続けるなど、情の厚い活動でも知られています。
2026年には、自身の代表作の続編となる映画『五十年目の俺たちの旅』で初めて監督を務めるなど、70代を迎えてもなお新たな領域へ挑戦し続けています。
2026年5月には最愛の妻・五十嵐淳子(いがらし・じゅんこ)さんとの別れを経験しながらも、多才な表現者として今なお第一線で活躍しています。
朝比奈昌広
朝比奈昌広(あさひな・まさひろ)は、将軍の徳川家慶(とくがわ・いえよし)や徳川家定(とくがわ・いえさだ)の近侍(きんじ)を務め、幕末から明治を生き抜いた人物です。
小姓として培った如才ない身のこなしや強固な守秘義務を武器に、長崎奉行や外国奉行、勘定奉行といった要職を次々と歴任しました。
特に外交分野で手腕を発揮し、日伊修好通商条約の締結にも関わっています。
薩摩藩にかうまわれた浪士よる幕府挑発事件の際には、周囲の強硬論を制して徳川慶喜(とくがわ・よしのぶ)の指示を仰ぐべきだと慎重姿勢を示し、危難を回避しようとする柔軟な器用さも持ち合わせていました。
明治維新後は、徳川家とともに静岡へ移り、名を閑水(かんすい)と改めました。
その後は新政府の司法官として大審院判事などに任じられ、裁判所でその実務能力を発揮しています。
晩年には、渋沢栄一が手掛けた徳川慶喜の伝記編纂に向けて貴重な手記を提供するなど、歴史の証人としての役割も果たし、1905年(明治38年)にその生涯を閉じました。
芝大輔
お笑いコンビ・モグライダーでツッコミとネタ作りを担当する芝大輔(しば・だいすけ)さんは、愛媛県松野町の自然豊かな集落で生まれ育ちました。
幼少期にバラエティ番組出演への憧れを抱き、2003年にNSC(吉本総合芸能学院)東京校へ9期生として入学します。
別コンビでの活動を経て2009年にモグライダーを結成すると、2021年の「M-1グランプリ」で決勝へ初進出を果たしました。
トップバッターとしての歴代最高得点を叩き出したその技量は、多くの先輩芸人や審査員からも「天才」と高く評価されています。
トレードマークのリーゼント髪に伊達眼鏡という風貌の芝大輔さんは、私生活では2児の父親です。
また、近年は映画に出演するなど演技の世界にも活動の幅を広げており、今回は、かねてより関心の深かった幕末から明治期を舞台とする『逆賊の幕臣』への出演を果たしました。
将軍の小姓という大役に、武士らしい所作の習得を目指し、役作りに意欲的に挑んでいます。
趣味のヨガのナウリやバレーボールといった多彩な特技を持ち合わせ、芸人としての確かな実力と独自の存在感を武器に、多方面での活躍を続けています。
井伊直弼
井伊直弼(いい・なおすけ:1815年11月29日~1860年3月24日)は江戸時代後期の譜代大名であり、近江彦根藩の第13代(または16代)藩主です。
若い頃は藩主の実子でありながら家督を継ぐ立場になく、15年間を「埋木舎」(うもれぎのや)と呼ばれる邸宅で質素に過ごしました。
この不遇の時期に、井伊直弼は寝食を忘れて国学や茶道、禅、居合術といった文武両道の修練に励み、のちの政治信条につながる強固な人格を形成しました。
その後、兄たちの早世によって藩主となった井伊直弼は、藩金の分配や優秀な人材の登用といった政策を行い、藩政改革を実践します。
さらに1858年には、幕府の大老に就任しました。
当時は黒船来航による外交危機に直面していた状況のなかで、井伊直弼は外国の脅威から日本を守るためには国際協調が必要であると見通し、天皇の勅許(ちょっきょ)を得ないまま日米修好通商条約に調印して開国を断行します。
また、将軍継嗣問題では血統を重視して徳川家茂(とくがわ・いえもち)の擁立を決定しました。
しかし、これらの強硬な政治手法は反対勢力の激しい反発を招きます。
井伊直弼は反体制的な計画や批判を厳しく取り締まる「安政の大獄」を行なって反対勢力の志士たちを粛清しましたが、その反動を受け、1860年に江戸城へ登城する途中の桜田門外で水戸脱藩浪士らによって暗殺されました。
▼井伊直弼の冷血なイメージを覆す意外な一面も紹介!詳しくはこちらをクリック↓↓↓

岡部たかし
1972年生まれ、和歌山県出身の岡部たかしさんは、多彩な表現力を持つ俳優でありナレーターです。
24歳のときに劇団東京乾電池の舞台に感銘を受けて上京し、同劇団に入団。
退団後は山内ケンジ氏が手がける「城山羊の会」(しろやぎのかい)などの数々のプロデュース公演でキャリアを重ねてきました。
また、みずから演劇ユニット「切実」を立ち上げて演出にも挑戦するなど、舞台への深い情熱を持ち続けています。
近年は活動の場を映像作品にも広げており、大河ドラマ『真田丸』や『青天を衝け』、連続テレビ小説『ブギウギ』や『虎に翼』をはじめ、映画『花束みたいな恋をした』など、数多くの話題作に出演。
その確かな演技力で幅広いキャラクターを演じ分け、存在感を示しています。
プライベートではヨガを趣味とし、劇団の研究所時代からの友人である阿佐ヶ谷姉妹とも、テレビ番組で共演を果たすなど長い親交があります。
小栗忠高
江戸幕府の旗本である小栗忠高(おぐり・ただたか)は、外交や経済の手腕で名高い「文政の三傑」中川忠英(なかがわ・ただてる)の四男として誕生しました。
当初は家を継ぐ立場にありませんでしたが、縁のあった徳川古参の名家・小栗家へ婿入りします。
小栗家代々の通称「又一」を受け継いだ忠高は、名門の誇りを守るため温厚で誠実に当主としての任務を全うしました。
持筒頭(もちづつかしら)などを経て新潟奉行に赴任したものの、翌年、47歳で病で亡くなります。
小栗忠高は生前、親交の深い商人に自身の法要費用として50両を託していましたが、こうしたところに、先を見据えた忠高の実直な性格が窺えます。
教育面では、跡を継いだ長男の小栗忠順を儒学者・安積艮斎(あさか・ごんさい)に弟子入りさせ、規律を重んじるよう厳格に育てました。
北村有起哉
東京都出身の俳優・北村有起哉(きたむら・ゆきや)は1974年生まれで、俳優・北村和夫を父に持つ芸能一家のなかで育ちました。
姉は女優の北村由里です。
北村有起哉は高校の文化祭で舞台に携わったことをきっかけに演劇の道を志すようになり、日本映画学校へ進学します。
そして、1998年、映画『カンゾー先生』と舞台『春のめざめ』で芸能界デビューを果たします。
特定の劇団に属さず舞台を主軸に活動していましたが、近年は多くの映像作品で活躍しています。
代表作には、主演を務めた映画『太陽の蓋』や連続ドラマ『ムショぼけ』のほか、『すばらしき世界』や『たそがれ優作』などがあります。
また、NHKの作品にも数多く出演しており、大河ドラマ『義経』や『西郷どん』のほか、連続テレビ小説では『わろてんか』『エール』、そしてヒロインの父親役を演じた『おむすび』などに起用されています。
私生活では、共通の知人を介して出会った女優の高野志穂と結婚し、現在は2人の男児の父親です。
歴史上の人物である太田道灌(おおた・どうかん)の末裔(まつえい)で、夫婦で地域の歴史的なお祭りのパレードに参加した経験もあります。
お酒やボウリングを好み、日頃から夫婦での晩酌(ばんしゃく)を通じてコミュニケーションを大切にしているそうです。
勝海舟
勝海舟(かつ・かいしゅう)は、幕末から明治の動乱期を卓越した先見性と誠実な外交姿勢で生き抜いた武士であり政治家です。
旗本の子として江戸に生まれ、青年期は貧困に苦しみながらも剣術の直心影流(じきしんかげりゅう)免許皆伝を得て、さらに蘭学や西洋兵学を猛勉強しました。
黒船来航時に提出した海防意見書が幕府に認められると、長崎海軍伝習所で学び、のちに咸臨丸の指揮官として太平洋横断を果たし渡米。
帰国後は海軍の強化に奔走し、神戸海軍操練所を開設して坂本龍馬らの志士を育成しました。
戊辰戦争(ぼしんせんそう)の際には旧幕府側の代表となり、新政府軍の西郷隆盛と直談判を結行。
江戸焦土作戦の構想や英国公使への働きかけといった戦略を背景に、総攻撃寸前で「江戸城無血開城」を実現させ、150万人の市民と江戸の町を戦火から救いました。
維新後も明治政府の参議や海軍卿などの要職を歴任しつつ、徳川慶喜(とくがわ・よしのぶ)の赦免や、西南戦争で命を落とした西郷隆盛の名誉回復、旧幕臣の生活救済に尽力。
日清戦争時には大局的な視点から開戦に反対しました。
晩年は赤坂氷川で『海軍歴史』などの編纂に努めましたが、75歳のとき、脳溢血(のういっけつ)により「コレデオシマイ」の言葉を残し、この世を去りました。
▼勝海舟は坂本龍馬の遺志を継いでいた!詳しくはこちらをクリック↓↓↓

▼勝海舟の名言が表すべらんめいな生き方がおもしろい!詳しくはこちらをクリック↓↓↓

大沢たかお
東京都出身の大沢たかおさんは、1987年にモデルとして活動を始め、「MEN’S NON-NO」(メンズ・ノンノ)などのファッション誌やパリ・コレクションで脚光を浴びました。
1994年に俳優へ転身すると、ドラマ『星の金貨』(日本テレビ系、1995年)をはじめとする話題作へ出演し、一躍知名度を上げます。
その後、活動の中心を映画へと移し、主演を務めた大ヒット作『世界の中心で、愛をさけぶ』(2004年)や、日本アカデミー賞優秀主演男優賞に輝いた『解夏』(げげ:2004年)などで確固たる地位を築きました。
さらに、驚異的な高視聴率を記録した主演ドラマ『JIN-仁-』(TBS系、2009年、2011年)で数々の賞を獲得したほか、海外作品への出演や映画プロデュースにも挑戦するなど、多方面で手腕を発揮しています。
近年では、映画『キングダム』(2019年)シリーズの王齮(おうき)役で圧倒的な存在感を示して日本アカデミー賞最優秀助演男優賞などの栄誉に輝き、主演とプロデュースを兼任した『沈黙の艦隊』(2023年)でも注目を集めました。
抜群のスタイルと高い演技力を兼ね備え、国内外の作品で息の長い活躍を続ける実力派俳優です。
くに
小栗家十一代当主・忠高の妻である「くに」は、強い責任感で家を守り続けた女性です。
家付き娘として生まれ育ったくには、穏やかな婿養子の夫・忠高とは対照的に、遠慮のない語り口で家庭を主導する、太陽のようにエネルギッシュで頼もしい存在でした。
先祖が徳川家から称賛されて授かった「又一」という名の誇りと重みを、息子である忠順や家臣たちへ毎年熱心に語り聞かせることが、くにの日課でした。
幕府が崩壊した1868年、隠退する忠順に従って上野(こうずけ)へ赴(おもむ)きますが、そこに新政府軍の追っ手が迫ります。
緊迫した状況下で、くには捕縛される直前に忠順から指示を受け、忠順の妻である道子たちを伴って上野から脱出しました。
その後、信濃や越後を経由して会津へ逃れ、激動の時代のなかで最後まで家族を守り抜きました。
翌年には静岡へ生活の拠点を移し、晩年は東京へ帰還して旧臣の三野村利左衛門(みのむら・りざえもん)から支援を受けながら生涯を終えました。
鈴木京香
宮城県出身で1968年生まれの鈴木京香(すずき・きょうか)さんは、地元でのモデル活動を経て1988年に「カネボウ水着キャンペーンガール」に選ばれ、全国的に有名になりました。
翌年に映画で女優デビューすると、NHK連続テレビ小説『君の名は』のヒロイン役で大きな注目を集めます。
当初は清楚(せいそ)な役柄が中心でしたが、三谷幸喜作品への出演を機に愛人役や悪役など演技の幅を広げ、コメディからシリアスまでこなす実力派女優として定着しました。
代表作には『王様のレストラン』『グランメゾン東京』、映画化もされた『セカンドバージン』などがあり、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞をはじめ数々の賞に輝いています。
近年は、故郷が舞台の『おかえりモネ』で母親役を好演し、同県の絆大使も務めています。
私生活では、健康的な食事や睡眠、ジムでの運動を大切にする一方、アートや旅を好むという多面的な魅力の持ち主です。
かつては苦手としていた歌に挑戦してCDを発売したほか、歴史的建造物を買い取って修復・保存に取り組んだ功績によって日本建築学会文化賞を受賞するなど、俳優業にとどまらず、自身の可能性を広げながら多方面で活躍しています。
栗本鋤雲
栗本鋤雲(くりもと・じょうん)は、幕末から明治期にかけて医師、外交官、ジャーナリストとして活躍しました。
幕府の医官の家に生まれ、自身も優秀な奥詰医師となりましたが、西洋船への乗船を咎(とが)められて箱館(蝦夷地)へ左遷されました。
しかし、左遷先で力を発揮し、日本初の病院とされる箱館医学所の創設や薬園の経営、地域のインフラ開発に尽力します。
この功績から士族へ昇格し、現地で学んだフランス語を活かして外国奉行に抜擢されました。
その後は盟友の小栗忠順らと横須賀製鉄所の建設を進め、日仏親善大使としてパリ万博への随行やアルプス登山も経験しています。
フランス滞在中に幕府の滅亡を知り帰国したあとは、「二君に仕えず」として新政府からの仕官要請を拒み、隠遁(いんとん)しました。
1872年(明治5年)からは一転してジャーナリストの道を歩み、郵便報知新聞の主筆などを務めて西洋文明の紹介や文化の発展に寄与しました。
栗本鋤雲は信念を貫く人物であり、後年、旧幕臣の会合で勝海舟を怒鳴りつけた逸話も残されています。
激動の時代を独自の進取の精神と忠義で生き抜き、1897年(明治30年)に76歳で没しました。
青木崇高
大阪府出身で1980年生まれの青木崇高(あおき・むねたか)は、圧倒的な存在感と確かな演技力で幅広く活躍する実力派俳優です。
専門学校を卒業後、モデル応募を機に俳優の道へ進み、2002年に映画デビューを果たしました。
NHK連続テレビ小説『ちりとてちん』の落語家役で大きな注目を集めて以降、同局の作品に数多く出演。
大河ドラマへの出演は『龍馬伝』(2010年)をはじめ計5作品に上り、最新作『逆賊の幕臣』では主人公の盟友・栗本鋤雲役に抜擢されました。
役作りへの情熱は並外れており、徹底した体重管理や過酷なアクション特訓のほか、共演者と絆を深めるための積極的な交流も厭(いと)いません。
また、かつてバックパッカーとして世界を巡った経験を持ち、カンヌ国際映画祭への自費参加や、南米での落語披露など、行動力あふれる逸話も豊富です。
近年はアカデミー賞受賞作『ゴジラ-1.0』や、初の韓国映画出演となった『犯罪都市 NO WAY OUT』といった話題作で国内外の映画界を沸かせています。
さらに、バラエティ番組のメインMCやイベントのスペシャルサポーターを務めるなど、多才ぶりを発揮しています。
駒井朝温
(こまい・ともあつ)
高橋光臣
滝川具挙
(たきがわ・ともたか)
宮野真守
みち
上白石萌音
三野村利左衛門
(みのむら・りざえもん)

