佐々成政(さっさ・なりまさ)は、織田信長に近侍した精鋭部隊「黒母衣衆」(くろほろしゅう)の筆頭として名を上げ、のちに越中(現在の富山県)を任された戦国武将です。
戦国の人物紹介では、佐々成政は〝頑固〟〝武断〟〝信長への忠義〟といったイメージで語られがちです。
けれど、佐々成政の輪郭をくっきりさせるのは、〝家がどう残ったのか?〟〝土地にどんな記憶が沈殿したのか?〟という、後世に残る痕跡だと私は思います。
この記事では、「子孫」「隠し酒」「さらさら越え」というキーワードに即して、佐々成政について見ていきましょう。
佐々成政の子孫は絶えていなかった!切腹から現代へと続く〝執念の系譜〟
戦国武将・佐々成政の直系は、男子が早世したことなどにより、歴史の表舞台から消え去ったとされています。
しかし、それは〝佐々家が完全に消滅した〟ことを決して意味しません。
戦国時代における家の存続は、直系の血筋だけがすべてではありませんでした。
婚姻や養子、あるいは姉妹の嫁ぎ先などの〝傍流〟を通じて、家名は複雑な経路をたどりながら生き残る道を選びます。
実際に佐々成政の血脈やその名は、彼の実姉の系統(傍流)を通じて後世へと受け継がれました。
江戸時代には、水戸光圀(みつくに)に仕え、『大日本史』の編纂(へんさん)に力を尽くた佐々宗淳(さっさ・むねきよ)が現れます。
そして、その流れは現代にまでいたり、危機管理のエキスパートとして初代内閣安全保障室長に就いた佐々淳行(あつゆき)氏へとつながっています。
佐々成政自身が越中で築こうとした秩序は、豊臣政権の大きなうねりに飲み込まれ、切腹による死(1588年)とともに一度は崩壊しました。
しかし、その志や名は系図のどこかでそっと結び直され、時代を超えて枝を伸ばし続けていたのです。
戦国時代の家とは、当主1人の栄枯盛衰だけで決まるものではありません。
〝断絶〟したとされる場所から、また別の枝へと名が〝継承〟されていく。
私たちはその微(かす)かな糸の重なりのなかに、歴史の〝断絶〟と〝継承〟という2つの姿を同時に見ているのです。
佐々成政と隠し酒が結ぶ山と水と人の物語とは?
富山の銘酒「佐々成政の隠し酒」には、佐々成政が槍で地を突いて水を湧かせたという「槍の先の水」の伝承が息づいています。
「隠し酒」という名前の由来は、佐々成政が山中に埋蔵金を隠したという黄金伝説にあります。
しかし、この酒が語るのは、たんなる宝探しの夢ではありません。
政治の歴史における佐々成政は、実直さゆえに時流に敗れた武将かもしれません。
けれど、厳しい風や水の枯渇を知る地元の人びとにとっては、〝土地を潤す恵みの象徴〟として記憶されています。
「隠し酒」とは、山と水と人が紡(つむ)いできた〝隠れた物語〟のことです。
お城や古文書には縁遠い人でも、お土産の一升瓶を手に取れば、その手のひらで歴史と出会うことができます。
このとき伝承は、たんなる昔話ではなく、土地の自己紹介として機能しているのです。
酒杯(しゅはい)の底に沈んでいるのは、たんなる水や米ではありません。
それは、佐々成政が去ったあとも山から湧き出し続ける、名残の時間そのものです。
ひと口の冷たさを味わうとき、私たちは何百年もの時を超えて、この土地が守り続けてきた記憶に触れているのです。
佐々成政、「さらさら越え」の衝撃!近代装備なしで厳冬の北アルプスを突破した〝狂気〟と〝執念〟
「さらさら越え」とは、佐々成政が厳冬の北アルプスを強行突破したと伝わる、伝説的な行軍です。
富山城を発ち、立山連峰のザラ峠や針ノ木峠を越え、信州・松本へと抜ける過酷なルートをたどりました。
この無謀とも思える山越えの目的は、徳川家康への直談判(じかだんぱん)でした。
当時、徳川家康が羽柴秀吉と和睦(わぼく)しようとする動きがあり、それが現実となると、北陸の佐々成政は孤立無援となります。
そこで佐々成政は、みずから徳川家康に会い、和睦を思いとどまらせ、反秀吉の連携を維持しようという〝一縷(いちる)の望み〟に賭けたのです。
それにしても、厳冬期の北アルプスを越えるには、現代の登山家ですら最高水準の装備と慎重な計画を必要とします。
それを近代的な装備など一切ない時代に成し遂げたという事実は、もはや戦略という言葉を超え、〝身体で証明するしかない執念〟として私たちの胸を打ちます。
また、佐々成政にとっての山越えは、たんに地図上を移動するかのような行為ではありませんでした。
それは、襲いかかる恐怖や飢え、凍(い)てつく部下の体温、そして一歩も前に出ない足を無理やり引きずる時間の積み重ねでした。
「二度と帰れないかもしれない」という死の予感を引き連れながら、佐々成政の部隊は進み続けました。
「さらさら越え」が今も人を惹(ひ)きつけるのは、それがたんなる政治的行動ではなく、〝人は何にしがみついて生きるのか?〟という根源的な問いを投げかけてくるからでしょう。
「さらさら」という軽やかな響きとは裏腹に、佐々成政が越えたものの重さは計り知れません。
佐々成政の声は聞こえなくても、雪を踏みしめるその足音だけは、今も私たちの心の奥底で鳴り響いている。
私にはそんな気がしてなりません。
越中の風土に息づく、佐々成政の残り香
佐々成政は、織田信長の精鋭部隊「黒母衣衆」(くろほろしゅう)として頭角を現し、のちに越中(現在の富山県)の国主となった武将です。
しかし、佐々成政の真の姿は、たんなる合戦の記録だけで語り切れるものではありません。
佐々成政からつながる血脈、残る名
佐々成政の直系の血筋は途絶えたとされますが、だからといって「佐々」という名が消えたことを意味しません。
その名は、実姉の系統などの〝傍流〟へ託され、形を変えながら後世へと継承されていきました。
そこには、血筋という一本の糸が切れても、別の枝から芽吹こうとする、戦国時代を生き抜いた家の強い生命力が見て取れます。
土地の記憶としての酒
今も親しまれる「佐々成政の隠し酒」は、成政が槍で突いて水を湧かせた伝説や、山に眠る黄金伝説と結びついています。
これらはたんなる過去の記録ではなく、富山という土地がみずからを語るための〝自己紹介〟のようなものです。
この酒を酌(く)み交わすとき、人びとは歴史のなかの佐々成政ではなく、いま目の前にある豊かな水や風土を通して、佐々成政を〝現在形の存在〟として感じているのです。
執念が刻まれた雪山
一方、厳冬の北アルプスを越えて徳川家康へ直談判に向かった「さらさら越え」。
この物語が時代を超えて語り継がれるのは、それがたんなる政治的な行動ではなく、極限状態を歩き抜いた〝身体的な執念〟として私たちの心に響くからです。
雪を踏みしめるその苦闘は、理屈を超えて現代の私たちの肌に伝わってくるのです。
佐々成政の記憶は今も続く
血筋が途絶えても、名門の誇りは別の枝へと渡される。
確かな史料には残らなくても、土地の物語がその名を語り継ぐ。
佐々成政という1人の武将の記憶は、いまも越中の清らかな水や険しい山、そして吹き抜ける風のなかに、そっと結び直され続けているのだと私は思います。
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