「戦国一のイケメンは誰か?」と訊かれたら、誰もが真っ先に思い浮かべるのが森蘭丸(もり・らんまる)ではないでしょうか。
本能寺の変(ほんのうじのへん)において、わずか18歳という若さで織田信長と運命を共にしました。
森蘭丸の魅力は、たんなるビジュアルだけではありません。
織田信長が森蘭丸を自分の身近に置いた最大の理由は、容姿の美しさを上回るほどの「察する能力」と、主君を一心に支え抜く、ひたむきな忠誠心にありました。
この記事では、そんな森蘭丸の人気の秘密に迫ります。
森蘭丸は織田信長にもっとも重用された側近
森蘭丸は幼名・通称で、本名は森成利(もり・なりとし)といいます。
織田信長の近習(きんじゅう)として、常に近くに控えており、秘書のような役割を担いました。
本能寺の変の際にも側におり、最期は明智光秀(あけち・みつひで)の軍勢と戦い、18歳の若さで討死(うちじに)しました。
織田信長が自分の一番の側近に、森蘭丸を指名したのには理由があります。
森蘭丸が極めて有能だったためです。
織田信長を驚かせた森蘭丸の〝感性の鋭さ〟
森蘭丸は織田信長の秘書として、取り次ぎや使いとしても活躍し、織田信長の政治的スローガンであった「天下布武」(てんかふぶ)の実現に貢献したとされています。
織田信長は森蘭丸を信頼していたのですが、その証拠となるエピソードが残っています。
あるとき、織田信長が「カサッ」と小さな音を立てました。
すると隣の部屋にいた森蘭丸がすぐさまやってきて「御用でしょうか」と声をかけます。
織田信長が「何も言っていないのに、なぜ来た?」と尋ねると、森蘭丸はこう答えました。
「今、爪を切る音が聞こえました。爪の切りくずを捨てる器が必要かと思い、参りました。」
これを聞いた織田信長は、感心するどころか、自分の無意識の動作まで常に見張られ、先読みされていることに「こいつは恐ろしいやつだ」と漏らしたと伝えられています。
たんに気が利く小姓ではなく、主君の日常の所作まで把握しようとする「執着心」(しゅうちゃくしん)が透けて見えるというわけです。
主君の側からしてみると、気味が悪いエピソードであり、このような小姓は遠ざけたくなるかもしれません。
しかし、織田信長の不思議なところは、森蘭丸を重用した点にあります。
2人とも変わり者に違いなく、だからこそ天下を狙えたのでしょう。
本能寺の変の真の原因?森蘭丸の〝おもてなし〟
1582年、徳川家康が安土城(あづちじょう)を訪れた際、織田信長は明智光秀を接待役に命じました。
しかし、その裏で実務の総指揮を執っていたのが森蘭丸でした。
森蘭丸は、徳川家康一行がどの部屋に泊まり、どの順番で料理を出し、どのタイミングで喉が渇くかまでを完璧にシミュレーションして配置を指示したのだそうです。
当時の献立やもてなしの内容は「天正十年安土御供応記」(てんしょうじゅうねんあづちごきょうおうき)などに詳しく記録されています。
文献では、森蘭丸が関わった部分は「一分の隙もない」と評されました。
森蘭丸は明智光秀の用意した献立や魚の鮮度、さらには器の並べ方に至るまで、厳しいチェックを入れたと言われています。
あまりの完璧さに、織田信長も徳川家康も、「蘭丸に任せておけば、人間わざとは思えないほど滞(とどこお)りなく進む」と、その冷徹なまでの有能さを認めざるを得ませんでした。
あくまで一説ではありますが、これが明智光秀を精神的に追い詰め、本能寺の変の一因になったという説もあります。
森蘭丸はイケメンなだけではなかった!女装も艶やかだった!!
森蘭丸は、〝戦国時代ナンバーワンのイケメン〟だと言われることがあります。
たんにハンサムというだけでなく、中性的な色気と気品を兼ね備えていたと形容されています。
森蘭丸は森可成(もり・よしなり)の三男で、13歳のときに、織田信長に弟2人と一緒に召し抱えられます。
この3人だけでなく、父の森可成や兄たちも美形だったようです。
イケメン一家だったのでしょうね。
女装して踊った際の圧倒的な美しさ
美しい花「蘭」の名前を持つ戦国武将はほとんどいません。
それほど、森蘭丸はイケメンだったのでしょう。
織田信長が安土城などで宴(うたげ)を開いた際、森蘭丸に女装させて踊らせたと伝えられています。
その際、集まった家臣たちは「本物の女性、それも絶世の美女よりも美しい」とその容姿に溜息をついたといいます。
これは、森蘭丸の骨格や顔立ちが中性的で、性別を超越した美しさを持っていたことを裏づけるエピソードです。
18歳という完成された若さでの死
本能寺の変で亡くなったとき、森蘭丸は18歳でした。
18歳は少年から大人へと変わるもっとも美しい時期とされ、その〝もっとも美しい瞬間〟に命を散らしたのです。
このことがイケメンとしての伝説を不動のものにしました。
もし森蘭丸が生き残り、ひげを生やした屈強な武将になっていたら、〝美の象徴〟としては語られることはなかったかもしれませんね。
森蘭丸の子孫の現在は?
森蘭丸は、本能寺の変で18歳にして散りました。
一方、森蘭丸の直系の子孫については明確な記録が残っていません。
しかし、森家の名は歴史の表舞台から消えることはありませんでした。
森蘭丸の弟は、江戸時代を大名として生き抜いたのです。
森家を存続させた弟・森忠政の才覚
森蘭丸亡き後、森家の家督を継いだ弟の森忠政(もり・ただまさ)は、非常に優れた統治能力を持っていました。
森忠政は森家の兄弟で唯一生き残り、豊臣秀吉と徳川家康に仕えました。
森家が江戸時代を生き残ることができたのは、森蘭丸が織田信長に殉じたことで得た「忠義の家」という絶大なブランドを実利に変えたからです。
赤穂浪士を憶えていますか?
忠臣蔵(ちゅうしんぐら)で有名なのが赤穂浪士(あこうろうし)ですが、その赤穂浪士の主君・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が吉良上野介(きら・こうづけのすけ)に斬りかかった出来事に始まる赤穂事件で浅野家が改易(かいえき)になった数年後、赤穂藩の藩主を務めたのが森家でした。
森家は赤穂藩を明治維新まで統治していました。
この地に確固たる藩政を敷き、今日まで続く地域の文化や史跡の基礎を築き上げました。
現代に残る森家の足跡
現在でも、森家の子孫は健在です。
現当主の方も歴史的な行事や法要に出席され、地域の歴史教育にも貢献されています。
森蘭丸は日本人の心のなかに生きている!
森蘭丸が今なお人気なのは、彼が〝若くして散った美しさ〟を象徴しているからでしょう。
毎年、本能寺跡や森蘭丸ゆかりの地で行われる法要には、全国から多くのファンが集まり、森蘭丸の面影を偲(しの)んでいます。
歴史は過去のものではなく、今を生きる人びとのなかに息づいているのだと、私は強く感じます。
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