歴史好きで、豊臣秀吉(とよとみ・ひでよし)を知らない人はいません。
戦国時代を代表する英雄の1人であり、農民から天下人へと上り詰めた立身出世の象徴的存在です。
しかし、その最期については、意外と詳しく知られていないのではないでしょうか。
あなたは、豊臣秀吉がどのようにして亡くなったのか、気になったことはありませんか?
天ぷらにあたった、年齢的に寿命だった、さらには梅毒(ばいどく)だったのではないか、という説まであります。
この記事では、こうした有名な説を取り上げながら、豊臣秀吉の死因について考えていきます。
豊臣秀吉の死因①天ぷら説
豊臣秀吉の死因として、しばしば語られるのが「天ぷら」です。
油物にあたって体調を崩し、そのまま亡くなったという話を聞いたことがある方も多いかもしれません。
当時の天ぷらは、現代のものとは違い、保存状態や衛生面に不安がありました。
そのため、食当たりを起こす可能性が高かったのは事実です。
しかし結論から言うと、天ぷらが原因で亡くなったのは豊臣秀吉ではありません!
この話は明らかに人物が混同されています。
天ぷら、あるいは油の強い料理を食べて体調を崩したとして有名なのは、徳川家康(とくがわ・いえやす)です。
徳川家康は晩年、鯛(たい)の天ぷらを食べたあとにお腹を壊し、それが死期を早めたと言われています。
この話が、いつの間にか豊臣秀吉と入れ替わって語られるようになったのでしょう。
たしかに、戦国時代には天ぷらはすでに存在していました。
ポルトガル由来とも言われ、権力者であれば口にできた料理です。
ただし、それが直接の死因になったと考えるのは、無理があるように思います。
豊臣秀吉の死因②年齢説
豊臣秀吉の死因として次に多く挙げられるのが、〝年齢的に寿命だった〟という説です。
豊臣秀吉が亡くなったのは、満62歳でした。
現代の感覚では、決して高齢ではありませんが、当時としてはどうだったのでしょうか。
戦国時代において62歳は、それほど高齢というわけではありません。
私見ですが、ここは誤解が多い部分だと感じます。
たしかに、戦国時代は平均寿命は短かったと思われます。
しかし、それは戦死や病死が多かったからです。
実際には、92歳まで生きた真田信之(さなだ・のぶゆき)、84歳まで生きた宇喜多秀家(うきた・ひでいえ)、83歳まで生きた細川忠興(ほそかわ・ただおき)など、長生きした武将は少なくありません。
豊臣秀吉は年齢を気にし、不老長寿を願っていた
実は、豊臣秀吉は年齢を気にして、不老長寿を願っていたようです。
嫡男(ちゃくなん)の豊臣秀頼(とよとみ・ひでより)は豊臣秀吉が56歳のときの子どもです。
父親たる者、この秀頼のためにも、豊臣家のためにも長生きしたいと思いますよね。
その願いを少しでも叶えるために、ある日、伊達政宗(だて・まさむね)の家臣(かしん)の鬼庭綱元(おににわ・つなもと)を呼び出します。
鬼庭綱元は先祖代々、長生きで有名な家系ですから、秀吉はその秘訣(ひけつ)を探ろうとして日頃の暮らしぶりについて尋ねたそうです。
このとき、鬼庭綱元が日頃から飲んでいる米粉(こめこ)の湯を紹介されたので、自分も飲むようになったと伝えられています。
現代のサプリに通じるエピソードですね。
ちなみに、鬼庭綱元も長生きで、91歳まで生きています。
豊臣秀吉は贅沢な食事で栄養状態がよかった
さらに言えば、豊臣秀吉は天下人です。
食事は贅沢で、栄養状態も良かったと考えられます。
医師(いし)や薬(くすり)にも、当時としては恵まれた環境にありました。
そう考えると、単なる老衰(ろうすい)で亡くなったと見るよりも、何らかの病気を抱えていたと考える方が自然です。
私には、「年齢のせい」という説明だけでは、どうも納得できません。
豊臣秀吉の死因③梅毒説
少し刺激的な説が、梅毒説です。
豊臣秀吉は女性関係が派手だったため、性病にかかっていたのではないか、という噂があります。
しかし、この説についても注意が必要です。
梅毒で亡くなった可能性は、低いと考えられています。
私見ですが、これも別の人物との混同が原因だと思います。
梅毒にかかっていた可能性が高いとされているのは、結城秀康(ゆうき・ひでやす)です。
結城秀康は、徳川家康の次男であり、若くして亡くなりました。
この結城秀康の病状が、豊臣秀吉に結びつけられた可能性があります。
話題性はありますが、史料(しりょう)に基づいた説とは言いにくいでしょう。
豊臣秀吉の死因④その他の説
では、他にどのような説があるのでしょうか。
一般に言われているのは、大きく二つです。
一つは、慢性的な病気による衰弱(すいじゃく)説です。
晩年の豊臣秀吉は、次第に痩(や)せ、歩行も困難になっていたと伝えられています。
もう一つが、内臓系の重い病気、つまりがん(癌)だったのではないか、という説です。
この説がいちばんしっくりくると思います。
当時は、病名を正確に診断することができなかったため、「原因不明の体調悪化」として記録されたのでしょう。
胃や腸などの消化器系のがんであれば、長期間にわたる衰弱とも一致します。
豊臣秀吉の最期は、派手な逸話よりも、静かな病との闘いだったのかもしれません。
豊臣秀吉の死因をどう考えるか?
ここまで、いくつかの説を見てきました。
天ぷら説
年齢説
梅毒説
病気による衰弱説
がん説
いずれも有名ですが、決定打とは言えません。
私見ですが、こうした俗説が生まれるのは、豊臣秀吉という人物が、それだけ強烈な印象を残したからだと思います。
真実は、華やかではありません。
しかし、病に苦しみながらも、最後まで政(まつりごと)を考えていた姿を想像すると、より人間味を感じます。
豊臣秀吉の死因は、たんなるゴシップではなく、彼の生き方を映す鏡なのかもしれません。
そう考えると、死因を探ること自体が、歴史を楽しむ一つの方法なのではないでしょうか。
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