【この記事のポイント】
- 鶴見辰吾(つるみ・しんご)さんの俳優人生は叔母が応募したドラマのオーディションから始まった。中学1年生の12歳でデビューし、中学3年生で演じた〝中学生の父〟という難役は社会現象を巻き起こした。
- 爽やかな優等生のイメージが定着する一方、本人が憧れたのは泥臭いハードアクションだった。理想と現実のギャップに悩み、18歳にして引退を考えた。
- ドラマ『早春スケッチブック』で名優・山崎努(やまざき・つとむ)と共演し、命懸けで役に向き合う山崎の姿を間近に見て、俳優として生きる決意を固めた。
- 30代で、アイドル的な主役から、アクの強い脇役へ挑戦。映画『GONIN』での悪役挑戦が、現在の名バイプレーヤーとしての地位を築くきっかけとなり、「演技のデパート」と呼ばれるようになった。
鶴見辰吾は若い頃、宝塚に憧れて俳優をめざした!
鶴見辰吾さんの俳優としてのルーツをたどると、そこには意外な原点がありました。
東京都港区北青山という都会の真ん中で生まれ育った鶴見辰吾さんが幼少期に心を奪われたのは、きらびやかな宝塚歌劇団の世界でした。
名作『ベルサイユのばら』のアンドレに強く憧れ、自分もあの華やかな舞台に立ちたいと願います。
しかし、「男性はタカラジェンヌになれない」という残酷な(?)現実を知り、一度は舞台への夢を断念せざるを得ませんでした。
このエピソードは、鶴見辰吾さんがいかに早くから〝物語の世界で自分ではない誰かになること〟に魅力を感じていたかを物語っていると思います。
転機が訪れたのは中学1年生のとき。
叔母(おば)がドラマ『竹の子すくすく』のオーディションに応募したところ、鶴見辰吾さんは2500人を超える応募者のなかから選ばれ、12歳で俳優デビューを果たします。
そして、鶴見辰吾さんは、瑞々(みずみず)しい感性で瞬(またた)く間に業界の注目を集めることとなりました。
鶴見辰吾が若い頃に演じた〝中学生の父〟に日本中が驚いた!
鶴見辰吾さんの若い頃を語るうえで、1979年に放映されたTBSドラマ『3年B組金八先生』(第1シリーズ)第6回「十五歳の母」は絶対に外せない話題です。
このドラマで鶴見辰吾さんが演じたのは、杉田かおるさん演じる同級生の浅井雪乃を妊娠させてしまう宮沢保という男子中学生で、当時のテレビ界では極めてセンセーショナルな役どころでした。
「十五歳の母」では中学生の妊娠・出産、そして父親としての苦悩がリアルに描かれ、最高視聴率は39.9%を記録しました。
そのため、社会的な反響は大きく、教育現場や家庭で議論を巻き起こしました。
当時、中学3年生だった鶴見辰吾さんにとって、この役を演じることは容易ではありませんでした。
しかし一方で、幼さと責任感の間で揺れ動く少年の心情をリアルに体現したことが、高く評価されました。
この作品での熱演によって、「鶴見辰吾」の名は全国区となり、たんなる子役から本格的な俳優への一歩を踏み出したのです。
ところが、のちのインタビューで、鶴見辰吾さんは、この時期を「知名度が急上昇した一方で、役者としての方向性に迷い始めた時期」と振り返っています。
どうしてでしょうか?
鶴見辰吾は若い頃、理想と現実のギャップに悩み、引退を考えていた!
1980年代、鶴見辰吾さんは『翔んだカップル』で映画初主演を果たし、大映テレビ制作のドラマ『高校聖夫婦』や『スクール☆ウォーズ』などで、お茶の間の人気を不動のものにしました。
当時はまさにアイドル全盛期。
端正なルックスを持つ鶴見辰吾さんは、〝爽やかな優等生〟や〝理想の息子・恋人〟といった役柄を求められるようになります。
しかし、本人の心の内は複雑でした。
なぜなら、鶴見辰吾さんが本当に演じたいと思っていたのは、洋画のようなハードボイルドで、男臭いアクションだったからです。
甘いマスクを武器にするアイドル的な立ち位置に違和感を抱き、「俳優として一生食べていくのは難しいのではないか……」「ふつうの人生を歩んだ方が良いのではないか……」と、18歳のときに真剣に引退を考えたといいます。
そんな迷いがあるなか、鶴見辰吾さんは成蹊大学法学部政治学科へ進学します。
仕事は多忙で、学業との両立は困難を極め、一時は大学から離れた時期はあったものの、8年かけて卒業します。
その経緯には、鶴見辰吾さんが持つ〝一度決めたことはやり遂げる〟という強い意思が表れているように思います。
山崎努との共演で鶴見辰吾は俳優としての覚悟を決めた!
理想と現実のギャップに悩み、俳優を続けるべきか苦悩していた10代後半の鶴見辰吾さんが俳優を続ける覚悟を決めたきっかけとなったのは、1983年のドラマ『早春スケッチブック』で名優・山崎努(やまざき・つとむ)さんと共演したことでした。
そのときのことを、鶴見辰吾さんは、こう振り返っています――
山崎努さんの俳優としての姿勢を鮮やかに覚えています。『命懸け』という言葉がピッタリなくらい、真摯(しんし)に作品や役への研究を重ねていたのを間近で拝見して、『自分もこれくらい役者に本気にならなければ』と覚悟を固められました。それからの人生を決めてくれたと言ってもいい存在です。
(「WEBサイト「ENCOUNT」2024年5月4日のインタビュー記事)
このとき山崎努さんと共演していなければ、俳優・鶴見辰吾は今ごろ存在していなかったかもしれませんね。
ここから、どのような役であっても真摯(しんし)に打ち込むという鶴見辰吾さんのスタンスが確立したのだと私は思います。
鶴見辰吾は30歳目前にして悪役に挑戦!
20代を通じて着実にキャリアを積み重ねてきた鶴見辰吾さんですが、30代を前にふたたび大きな転換点を迎えます。
それまでの〝善人〟のイメージをみずから壊し、未知の領域へ踏み出す決断をしたのです。
きっかけは、俳優の先輩である根津甚八(ねづ・じんぱち)さんからの助言でした。
30歳目前、将来への不安を吐露(とろ)した鶴見辰吾さんに、根津甚八さんは悪役に挑戦するよう勧めました。
この助言によって挑んだのが、1995年の映画『GONIN』です。
佐藤浩市さんや本木雅弘さんら実力派の俳優と共演し、演じた暴力団の若頭役は、それまでの鶴見辰吾さんのイメージを根底から覆(くつがえ)すほど冷徹で、かつ凄まじいリアリティに満ちていました。
この作品以降、鶴見辰吾さんは「演技のデパート」と呼ばれるようになります。
硬派な官僚、冷酷な犯罪者、優しい父親、クセのある上司など、どんな役柄もこなせる柔軟性は、若い頃に葛藤した〝理想と現実のギャップ〟を乗り越えたからこそ手に入れることができた、最強の武器となったのです。
鶴見辰吾は若い頃の願いを今かなえている
鶴見辰吾さんは若い頃、アイドル的な人気を博しながらも、「もっと体を動かしたい!」「泥臭くありたい!」と願っていました。
その頃の願いは現在、俳優業以外の活動にも形を変えて表れています。
39歳で出会ったロードバイク、50代でのフルマラソン、そしてスピードゴルフ。
鶴見辰吾さんが若い頃に「ハードな役をやりたい!」と熱望していたその身体性は、還暦を迎えてもなお進化しつづける強靭(きょうじん)な肉体として結実しました。
鶴見辰吾さんが近年、筋トレに励み、〝頼もしく見える身体〟をつくり上げているのは、若い頃に抱いた「男くさい経験を積みたい!」という願いへの1つの〝答え〟なのかもしれませんね。
かつて鶴見辰吾さんは、俳優という仕事を料理にたとえてこう語りました――
スターがメインディッシュの〝ステーキ〟なら、自分はどんな調理法でも美味しくなり、主役はもちろん、ときにはハンバーグのつなぎのように脇役にもなれる〝卵〟のような存在でありたい。
10代で大きな注目を浴びながら、20歳目前で引退を考えるほどに悩み、30代で己(おのれ)をなくすほどに柔軟に適応してきたからこそ放てる言葉であると、私は思います。
鶴見慎吾は老いてなお進化しつづける俳優である
鶴見辰吾さんの俳優人生は、12歳で子役としてデビューしてから、まもなく50年が経ちます。
かつて『3年B組金八先生』で〝中学生の父親〟を演じた鶴見辰吾さんは、舞台『ビリー・エリオット』で、〝夢を追う息子の背中を押す父親〟を演じました。
この舞台について鶴見辰吾さんは「夢を持っているビリーは、かつての自分を見ているかのようにも思います」と語り、役と自分自身とを重ね合わせています。
そして、今後の俳優としての活動について、こう語っています――
老いて行くことも表現の一つにしていきたいですね。若い頃、年上の俳優さんのシワ一つすら名優の証しに思えたことがありました。彫刻家が長年をかけて彫刻を刻んでいくように、時間をかけて『老いの美しい見せ方』を追求していきたいですね。
(「WEBサイト「ENCOUNT」2024年5月4日のインタビュー記事)
鶴見辰吾さんの若い頃の瑞々(みずみず)しい輝きは、年月を経て、深みのある円熟味へと進化しました。
俳優・鶴見辰吾は、今この瞬間も、かつての自分を超え、進化しつづけているのです。
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