【この記事でわかること】
- 空海の食事にパスタが供される理由
- 空海の食事にパスタが供される意味
空海の食事にパスタ!
高野山金剛峯寺の奥之院では、今もなお弘法大師・空海が生きているという信仰があります。
そして、毎日2回、空海に食事を捧げる「生身供」(しょうじんぐ)という儀式が、1200年以上ものあいだ執り行われています。
「生身供」で空海に供される食事は、伝統的な精進料理が中心です。
しかし、現代では驚くべきことに、現代人が食べるような今どきのメニューが供されることがあります。
たとえば、パスタ!
質素な粗食をしていたはずの空海と、イタリア料理の代表であるパスタ。
まるでイメージが結びつきません(笑)
なぜ空海の食事にパスタが供されるようになったのでしょうか?
また、空海の食事にパスタが供される意味とは?
私なりに考えてみました^^
▼生身供について知りたい方は、こちら↓↓↓

空海の食事にパスタが供される理由とは?
生身供の献立は、基本的にご飯、味噌汁、野菜のおかずといった精進料理です。
しかし、時代の変化とともに、献立の内容は少しずつ多様化しているようです。
特に近年では、洋食やデザート、コーヒーなども供されることがあると聞きます。
その背景には、食文化の変化や、現代の食事を空海へ供したいという思いがあるのでしょう。
パスタが供されるようになった経緯はわかりませんが、高野山が国内外から多くの参拝者や観光客を迎えるなかで、多様な食文化を取り入れる柔軟な姿勢が生まれた可能性が考えられます。
また、精進料理の枠にとらわれず、さまざまな食材や調理法を探求するなかで、パスタというメニューが加わったのかもしれません。
空海にとって食事にパスタを供される意味とは?
次に、空海にとって食事にパスタを供されることの意味を考えてみます。
空海の真言密教、また仏教には、「空」(くう)という重要な概念があります。
「空」とは、〝あらゆるものは固定的な実体を持たず、常に変化し、相互に関係し合って成り立っている〟という考え方です。
空海がパスタを食べているとすれば、そのパスタを通して、「空」を見出しているのではないでしょうか。
たとえば、素材における「空」です。
パスタは、小麦粉、水、塩、ソース、具材などからできあがっています。
これら1つ1つの素材は、どれも独立して存在しているわけではありません。
小麦は大地と太陽の恵みを受けて育ち、水は清らかな流れ、塩は海から生まれます。
これらの素材が組み合わさることで、初めて「パスタ」という料理が生まれるわけです。
さらに、調理における「空」です。
パスタを茹でる湯の温度、塩加減、茹で時間など、これらすべてがパスタの味に影響を与えます。
レシピの指示どおりにパスタをつくるだけでなく、食材の状態や調理場の環境、料理人の意気込みや真心が味を生み出します。
味がつくり出される背景には、複数の要素のつながりがあるのです。
他にも「空」を見出せる視点はあるでしょうが、空海は食材の形や味に執着することなく、その背景にある無限のつながりや変化のあり方にこそ、パスタの真実の姿を見出しているとは考えられないでしょうか。
パスタという現代的な料理をそのように捉えることで、私たちは空海の智慧に少しでも触れることができるのかもしれませんね^^
現代に息づく空海の教え
空海の食事でパスタが供されるという事実は、空海の教えが時代を超えて柔軟に受け継がれてきた証(あかし)だと言えるでしょう。
伝統を重んじながらも新しいものを取り入れ、常に変化し続ける——
これは、すでに述べた〝あらゆるものは固定的な実体を持たず、常に変化し、相互に関係し合って成り立っている〟という「空」の考え方に通じます。
私たちは空海に倣(なら)えば、目の前の食事をたんなる〝食べ物〟としてとらえるだけでなく、その背景にある多くのつながりや変化のプロセスに思いを馳せてみることができます。
パスタ一皿に深い智慧と感謝の心が込められていることを感じ取ることで、私たちの食生活はより豊かになり、空海の教えが現代に息づいていることを実感できるのではないでしょうか。
まとめ
- 空海の食事にパスタが供される背景には、食文化の変化や、現代の食事を空海へ供したいという思いがある
- 空海がパスタを食べているとすれば、そのパスタを通して、「空」を見出しているのではないか
- 空海の食事でパスタが供されるという事実は、空海の教えが時代を超えて柔軟に受け継がれてきた証(あかし)
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