【この記事でわかること】
- 即身成仏と「即身仏」の違い
- 即身成仏の意味
- 即身成仏を説いた空海の『即身成仏義』の内容
- 即身成仏へいたる修行=「三密加持」の中身
「即身成仏」は「即身仏」とは違う!
「即身成仏」(そくしんじょうぶつ)という言葉を聞いて、あなたはどのようなイメージを抱くでしょうか?
ひょっとしたら、直感的に〝生きながらにしてミイラになったお坊さん〟をイメージする方は少なくないのではないでしょうか。
私も以前はそう思っていた1人です(汗)
たしかに、日本には過去、人びとの救いを願い、厳しい修行によって精進潔斎(しょうじんけっさい:いっさいの肉食を避け、心身を浄めること)し、みずからの肉体をミイラとして残した僧侶がいて、そうした彼らが現在も祀られていたりします。
山形県に多いのですが、それらは「即身仏」(そくしんぶつ)と呼ばれています。
56億7000万年後の弥勒如来の出現を、肉体を持ったまま迎えるのが目的のようです。
即身仏になろうなんて、私の想像をはるかに超えています。
一方、「即身成仏」というのは、ミイラ化した僧侶のような対象を指す言葉ではありません。
空海が説いた考え方(教え)のことを指します。
「即身成仏」とは?
「即身成仏」とは、この世に生きているあいだに、この身のままで仏になることができるという考え方で、空海の密教の教えの中心です。
すべての人間は仏性(ぶっしょう:仏の性質)をそなえているけれども、そのことに気づいておらず、ふだんは煩悩に覆われて隠れています。
そこで、自分が本来持っている仏性に気づけば、即身成仏への道が開けると考えるのです。
それまで仏教で悟りを開くといえば、とてつもなく長い時間がかかると考えられていました。
釈迦は前世から何度も何度も輪廻転生(りんねてんしょう:生まれ変わり)を繰り返し、厳しい修行と善業を行なってきました。
そして、最終的にこの世において悟りを開き、やっと仏となることができました。
しかし、空海の密教においては、いま生きているこの身このままで仏になることができると説くのです。
現代人なら実感はできなくても理解ならなんとなくできそうですが、昔の人には驚きの考えだったにちがいありません。
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即身成仏を説いた『即身成仏義』とは?
こうした即身成仏の考え方を示し、その可能性を〝立証〟するために空海が著したのが、『即身成仏義』です。
真言宗でもっとも重視されている書物の1つです。
仏教について論じるとき、自分の主張は経典や高僧の論書にもとづいて〝立証〟していなければならず、そのため『即身成仏義』は大日経や金剛頂経、『菩提心論』(龍樹著)を引用しています。
『即身成仏義』のなかで、即身成仏の考え方は次のように書かれています――
六大無碍(ろくだいむげ)にして常に瑜伽(ゆが)なり
四種曼荼(ししゅまんだ)おのおの離れず
三密加持すれば速疾(そくしつ)に顕わる
重々帝網(じゅうじゅうたいもう)なるを即身となづく
これだけ読んでも、よくわかりませんね(汗)
上記の文の意味は、およそ次のとおりです――
宇宙のすべては、地水火風空識(ちすいかふうくうしき)という6つの要素=「六大」が結びついて構成されている。その宇宙の姿は4種類の曼荼羅(まんだら)=「四曼」で表すことができるが、個々別々ではなく、お互いに作用しあっている。また、「三密」を行えば、大日如来と私たちは合一し、今すぐここに悟りの世界が現れる。このように、宇宙のすべてが重なり合うことを「即身」という。
キーワードは、「六大」「四曼」「三密」ですね。
一方、密教では、宇宙のなかのあらゆるものは、「体」(性質)「相」(姿)「用」(働き)の3つの側面から成り立っていると考えます。
そして、その体・相・用のどれをとっても、私たちは大日如来と変わらないといいます。
ただ違うのは、煩悩(迷い)があるかないかです。
そのため、煩悩(迷い)を取り除けば、私たち人間も大日如来と同じになれる=即身成仏できるというわけです。
その煩悩を取り除くのが大変なわけですが……(汗)
空海は、この体・相・用を「六大」「四曼」「三密」によって説明しています。
ちなみに、即身成仏を説くために引用している大日経と金剛頂経のなかに「即身成仏」という語は見当たりません。
『菩提心論』において、「唯、真言の法の中にのみ即身成仏するが故に、是の三摩地法(さんまじほう:心を一点に集中させ、精神を統一する状態)を説く」という一説があるのみです。
宇宙の構成要素=「六大」とは?
『即身成仏義』によれば、宇宙を構成しているのは、地水火風空識という6つの要素=「六大」です。
その性質ですが、地は固体で、保持する性質をそなえています。
水は液体で、受け入れる性質をそなえています。
火はエネルギーで、成熟させる性質をそなえています。
風は気体で、養う性質をそなえています。
空は空間で、包容する性質をそなえています。
識は意識で、選ぶ性質をそなえています。
空海いわく、これらの性質はたんなる宇宙の性質にとどまらず、大日如来の象徴でもあるのです。
壮大な思想ですね。
宇宙の姿を表す曼荼羅
さらに、『即身成仏義』によれば、宇宙には4つの姿があるといいます(四曼)。
その姿は、以下の4種の曼荼羅(マンダラ)によって表現されます。
大曼荼羅(だいまんだら) | 密教の世界観を仏で表している。胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅の2種があり、両部曼荼羅と総称される |
三摩(昧)耶曼荼羅(さんまやまんだら) | 仏や菩薩が持つ持物や印相で描かれている |
法曼荼羅(ほうまんだら) | 仏や菩薩の悟りの境地を種子(しゅじ)で表している |
羯磨曼荼羅(かつままんだら) | 仏の智慧の働きを仏像によって表している |
つまり、曼荼羅とは密教の宇宙観を視覚的に表現したもので、とりわけ大曼荼羅が重視されています。
曼荼羅は博物館や美術館で実物を観たことがありますが、その壮麗さや緻密さに圧倒された経験があります。
一生に一度は観ることをオススメします^^
即身成仏への修行=「三密加持」とは?
即身成仏するためには、自分の仏性に気づいたうえで、仏になりきり、修行を行ないます。
その修行が「三密加持」(さんみつかじ)です。
仏教では、人間の行為は、「身・口・意」(しん・く・い)という3つの働きから成り立っていると考えます。
身は身体的な行為、口は発する言葉、意は心に思うことです。
これらの働きは、煩悩や迷いといった煩悩を生み出す原因になります。
その結果は「三業」(さんごう:身業、口業、意業)と呼ばれています。
私などは三業を積みまくりなのではないでしょうか(笑&汗)
一方、密教では、仏の働きも3つであると考え、その結果を「三密」(身密、口密、意密)と呼びます。
煩悩の世界(三業) | 仏(悟り)の世界(三密) | |
身(身体的行為) | 身業(しんごう) | 身密(しんみつ) |
口(言葉) | 口業(くごう) | 口密(くみつ) |
意(心に思うこと) | 意業(いごう) | 意密(いみつ) |
身密(しんみつ)とは、印(いん:仏の手の格好)を結ぶことで、密教では数多くの印が定められています。
口密(くみつ)とは、陀羅尼(だらに:仏に唱える祈りの言葉)のことで、祈願する仏の陀羅尼を唱えます。
意密とは、心のなかで祈願する仏をイメージすることです。
たとえば、大日如来を祈願する場合であれば、手に大日如来の印を結び、口で大日如来の陀羅尼を唱え、心のなかで大日如来の姿をイメージするのです。
そうすることによって、仏と一体となる=仏が祈願する者のなかに入ってくるとされます。
このように、祈願する者が仏と一体になることを「加持」と言います。
三密加持を実践することで、三業と三密が一体化し、即身成仏への道が開かれるというわけです。
これまで無数の僧侶が、この三密加持を実践し、即身成仏をめざしたのでしょうね。
なお、密教以外の仏教=顕教(けんぎょう)は、心だけを問題にしています。
一方の密教は、心だけでなく、身体と言葉の働きも重視している点が、顕教と大きく異なる特徴だと言えます。
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まとめ
- 即身仏とはミイラ化した僧侶のことで、即身成仏とは空海が説いた考え方(教え)のこと
- 即身成仏とは、この世に生きているあいだに、この身のままで仏になることができるという考え方(教え)
- 即身成仏について説いた空海の著作は『即身成仏義』
- 「三密加持」を実践すれば、三業と三密が一体化し、即身成仏への道が開かれる
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