勝海舟の名言ってやつぁ、べらんめえでもどうしてなかなか味わい深いもんだよ

勝海舟 幕臣(幕末)/藩士/志士

幕末(ばくまつ)から明治(めいじ)、日本は大きく国の形を変えました。

その時代を生きた勝海舟(かつ・かいしゅう)の言葉は、現代人の迷いを断ち切ります。

1974年には、NHK大河ドラマ『勝海舟』のなかで、その波乱の生涯が描かれました。

幕臣(ばくしん)として徳川の世を終わらせる実務を担った勝海舟の視点は、常に組織や個人の利益を超えていました。

情報があふれ、他人の目を気にしがちな現代だからこそ、勝海舟の言葉はいっそう胸に響きます。 

行蔵(こうぞう)は我に存す、毀誉(きよ)は他人の主張、我に与(あず)からず

勝海舟は勝麟太郎(かつ・りんたろう)または勝安房守(かつ・あわのかみ)と呼ばれることもあります。

勝麟太郎は通称で、勝安房守は幕府から与えられた形式的な肩書きです。

そして、勝海舟は号(ごう)なのですが、現代風に言えばハンドルネームのようなものです。

生粋(きっすい)の江戸っ子で、言葉遣いがべらんめえ調であることで、多くの人びとに親しまれています。

勝海舟は江戸無血開城(えどむけつかいじょう)という歴史的な大仕事を成し遂げました。

その結果、味方であるはずの幕府側から裏切り者と罵(ののし)られ、敵対する新政府軍からも疑いの目を向けられました。

しかし、勝海舟が守ろうとしたのは徳川家のメンツではなく、江戸の町に住む多くの民の命と、外国勢力につけ込まれないための日本の独立でした。

大局を見据えた行動をとれば、必ずどこかから批判が出るものです。

名言のなかの「行蔵」(こうぞう)は社会に出て働くことと退いて退職することを指し、「毀誉」(きよ)は世間の評判を意味します。

つまり、見出しの言葉の意味は、〝自分の進退は自分で決める権利があり、世間の評価は関知しない〟となります。

勝海舟らしい、実感のこもった言葉ですね。

現代社会では周囲の顔色をうかがってばかりですが、勝海舟の言葉を知ると、それでは本当に価値のある仕事はできないと感じます。

世の中に無神経ほど強いものはない

勝海舟は、命を狙う刺客(しかく)が自宅に押し寄せてくる経験を何度もしました。

いちいち誰に嫌われているか、どう思われているかを気にしていたら、身が持ちません。

ここで言う「無神経」とは、自分の使命に集中するために不要な情報を遮断する技術を指しています。

勝海舟のように、自分にとって何を大切にし、何を切り捨てるべきかを冷静に見極めることができれば、心の平安を保ちながら最大のパフォーマンスを発揮できます。

情報の波に揉(も)まれる現代こそ、この戦略的な無神経さが求められていると教えられます。

事を遂げる者は、愚直でなければならぬ。才走ってはいかぬ

勝海舟は、海軍操練所(かいぐんそうれんじょ)で多くの若者を育てました。

そのなかには、のちの外務大臣となる陸奥宗光(むつ・むねみつ)をはじめ、土佐の坂本龍馬(さかもと・りょうま)、薩摩(さつま)の伊東祐麿(いとう・すけまろ)が含まれていました。

勝海舟は、頭の回転ばかり速く、口先だけで世を渡る人間を信用しなかったのでしょう。 

大きな事業を成功させる人物は、誠実さと粘り強さを持っており、小賢(こざか)しい知恵や要領よさはいけないと諭(さと)しています。

愚直(ぐちょく)な人間は、たとえ進みが遅くても、壁を突き破るまで挑戦をやめません。

この愚直さこそが、周囲の人びとの心を動かし、後世に歴史を伝えることになるのではないでしょうか。

明治の世になり、勝海舟が行った仕事に、江戸幕府の資料の編纂(へんさん)があります。

勝者が作った都合のよい明治政府の歴史だけが世に残ることを危ぶみ、消し去られようとしていた旧幕府側の公文書や外交記録を私費で集めました。

これが『開国起源』や『吹塵録』(すいじんろく)といった膨大な歴史書として結実しています。

勝海舟がこの地味で泥臭いデスクワークを愚直にやり遂げたおかげで、幕末のリアルな外交交渉や財政の実態が、現代まで正確に伝わることになりました。

効率化やスピードばかりが重視される世の中ですが、本当に大切でAIでもできないような仕事は、こうした泥臭い歩みの積み重ねの上にしか成り立たないと思います。

人は逆境に立たなけりゃほんものじゃないよ

勝海舟の言葉は、常に現場の緊張感から生まれています。

順風満帆(じゅんぷうまんぱん)なときに余裕を持って振る舞うのは簡単なことですが、それはまだ本物の証明にはなりません。

失敗し、追い詰められ、逃げ場がなくなったときに、それでも前を向いて解決策を探せるか、あるいは他人のせいにして崩れ落ちるか。

その瀬戸際で、人間の本性は剥(む)き出しになります。

勝海舟自身も、新政府から招かれ、政治顧問のようなことをさせられました。

周りはほとんどがかつての敵であり、まさに逆境のなかでの仕事ですが、それでも勝海舟は、日本の未来のために引き受けました。

苦境を避けるのではなく、むしろそれを歓迎し、自分の成長の糧(かて)にする強靭(きょうじん)なメンタリティを、私たちは勝海舟から学ぶ必要があります。

生業(なりわい)に貴賤(きせん)はないけど、生き方に貴賤があるねえ

江戸時代の身分制度が崩壊していく過程を見てきた勝海舟だからこそ、この言葉には説得力があります。

武士であっても卑劣(ひれつ)な振る舞いをする者は卑(いや)しく、町人であっても高い志(こころざし)を持つ者は尊いのです。

これは現代における、年収や職業、学歴で人を判断しようとする風潮に対する強烈なアンチテーゼかもしれません。

勝海舟は1860年に咸臨丸(かんりんまる)で渡米しています。

当時、30代後半であった勝海舟には、滞在先のサンフランシスコでの見聞が、考え方にも大きく影響しているのでしょう。

仕事の種類で人間に上下の差はなく、その仕事に対する姿勢で明確な価値の差が現れます。

ちなみに、勝海舟は渡航の最中はひどく船酔いし、部屋から一歩も出なかったという逸話が伝わっています。

勝海舟の名言が示す、べらんめえな生き方・考え方

他人の評価に振り回されず、自分の不器用さを愛し、逆境を楽しみ、高い志を持って生きる。

これらは口で言うのは簡単ですが、実践するのは並大抵のことではありません。

しかし、江戸っ子らしい軽妙な口調の裏に、その言葉の奥に、強い意志を秘めて生きた勝海舟の姿が浮かび上がります。

勝海舟の名言は、混沌とした時代を生き抜くための指標になると考えます。

勝海舟は、明治政府から爵位(しゃくい:個人へ与えられた栄誉称号)を与えられても、江戸っ子らしい気風を失いませんでした。

そして、かつての幕臣たちの生活を助けるために奔走(ほんそう)し続けたそうです。

私費を投じて資料を集めたのも、日本が歩んだ真実を消さないようにする使命に根ざした愚直な行動だったのでしょう。 

こうした人物が、激動の現代にもいてくれたらと思うのは私だけでしょうか。

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