【この記事のポイント】
- 池松壮亮(いけまつ・そうすけ)さんは、日本大学藝術学部ではあえて監督コースを選択し、演出を含めた作品作りを俯瞰的に学んだ。
- 福岡大学附属大濠高校へ一般受験で合格し、多忙な仕事と軟式野球部の活動を高次元で両立した。
- 中学時代はプロ野球選手を夢見る野球少年ながら、映画『ラストサムライ』で世界を驚かせた。
- 小学校時代、野球に夢中で、舞台『ライオンキング』のオーディションを拒んだが、母親の機転で参加したところ合格し、デビューした。
- 芸能界だけに染まらず、学業や野球で培った複眼的な生き方が現在の演技の土台となっている。
池松壮亮が進学した大学は日本大学藝術学部の監督コース
役者としてのスタンスの原点は大学にあり
池松壮亮(いけまつ・そうすけ)さんは今や、日本の映画界やドラマ界において唯一無二の存在感を放ち続ける実力派俳優です。
2026年現在、NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』で豊臣秀吉という大役をエネルギッシュかつ繊細に演じ、多くの視聴者を魅了しています。
子役時代から第一線で活躍し、一見すると天才肌のように思える池松壮亮さんですが、その卓越した表現力や作品を俯瞰(ふかん)する冷静な視点は、池松壮亮さんの学歴、つまり学びのプロセスで培(つちか)われた経験に深く根ざしています。
池松壮亮さんの学歴をひも解くうえで、彼の表現者としてのスタンスをもっとも色濃く決定づけたのが、最終学歴である日本大学藝術学部(通称・日藝)映画学科監督コースへの進学です。
多くの若手俳優が演技の手法を専門的に学ぶ演技系のコースを選択するなかで、池松壮亮さんがあえて監督コースを選んだという事実は、彼の役者としてのスタンスを象徴しています。
作品づくりの全体を学ぶ
日藝の映画学科監督コースといえば、日本映画界の巨匠・深作欣二(ふかさく・きんじ)監督をはじめ、偉大なクリエイターを輩出してきた名門です。
池松壮亮さんは、たんに与えられた役を演じる演者としての枠に収まるのではなく、演出を含めた作品づくりのあり方を全体的に理解しようとしたのではないでしょうか。
後年のインタビューなどでも、池松壮亮さんが映画というメディアそのものに対して深い敬意と批評的な視点を持っていることが窺えますが、その基礎はこの大学時代に培われたと考えられます。
自主映画を制作
高校卒業と同時に、生まれ育った地元の福岡市から上京した池松壮亮さんですが、大学生活は決して模範的な優等生ではなかったようです。
当時の様子について、池松壮亮さんは、「学校にはあまり行っていなかった。先生と映画の話をするだけで帰ってしまったり、大学へ行く途中で映画館や喫茶店にふらりと入ってしまったりしていた」といった主旨のエピソードを明かしています。
しかし、これは学業の怠慢というよりも、むしろ映画という芸術に対する池松壮亮さんなりの過剰な没入の表れであったと解釈することもできるでしょう。
講義室の机の上で学ぶ理論よりも、暗闇の映画館で作品と対峙(たいじ)することや、自身の感性を研ぎ澄ます時間を優先していたのだと考えられます。
事実、在学中には仲間とともに自主映画の制作に取り組んでおり、旺盛(おうせい)なクリエイティビティを発揮していました。
ちなみに、在校時期は重なっていないものの、同じ日藝出身の先輩女優である蒼井優(あおい・ゆう)さんからは、当時からとても可愛がられていたというエピソードが残っています。
朝ドラ『梅ちゃん先生』以降、キャリアを爆上げ!
学業と並行して、俳優としてのキャリアも大学時代に大きな進展を見せました。
大学2年生となった2010年には映画『半分の月がのぼる空』で主演を務め、さらに大学4年生のときにはNHK連続テレビ小説『梅ちゃん先生』(2012年)に出演。
朝ドラへの出演がきっかけとなり、池松壮亮さんの名前と演技力は全国的に知られることとなりました。
大学という自由なモラトリアムのなかで、映画を作る側の視点を学びながら、役者として演じる側の場数を踏むというアプローチが、池松壮亮さんの演技に他者とは一線を画す緻密(ちみつ)さと深みをもたらしたことは間違いありません。
大学を無事に卒業した2013年以降、池松壮亮さんは俳優業に専念。
2014年には映画『紙の月』での衝撃的な演技が映画賞を席巻し、第38回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞するなど、日本を代表する若手実力派俳優としての地位を不動のものとしました。
池松壮亮は福岡大学附属大濠高校時代、仕事と学業をみごと両立
実力で有数の進学校に合格
日本大学藝術学部へ進学する前、池松壮亮さんが多感な思春期を過ごしたのが、地元・福岡県の福岡大学附属大濠(おおほり)高校です。
1951年に開校した福岡大学の系列校である同校は、九州地方でも有数の進学校として知られています。
国公立大学や難関私立大学へ毎年多くの合格者を出すハイレベルなカリキュラムを誇る一方で、バスケットボール部や硬式野球部などが全国大会の常連であるなど、「文武両道」を実践する名門私立校です。
ちなみに、池松壮亮さんが在籍していた当時は男子校(2012年より共学化)でした。
驚くのは、池松壮亮さんは推薦などではなく、一般受験で合格している点です。
子役としての活動をすでに本格化させていた時期でありながら、周囲の受験生と同じように高い学力を維持していたことは、池松壮亮さんの並外れた集中力と自己管理能力を証明しています。
高校時代の同級生には、のちにプロ野球の中日ドラゴンズなどで活躍した古本武尊(ふるもと・たける)選手がおり、2人は小学校、中学校、高校とすべての所属校が同じという〝濃い縁〟でつながっていました。
野球にも俳優にも全力投球!
高校に入学した池松壮亮さんは、当初、甲子園の常連である強豪の硬式野球部への入部を考えたそうです。
しかし、当時の池松壮亮さんはすでに映画やドラマの撮影に忙しい身。
「さすがに硬式野球部の猛練習と芸能活動を両立させるのは無理」と冷静に判断し、軟式野球部を選択しました。
それでも池松壮亮さんは仕事の合間を縫(ぬ)って部活動に全力で打ち込み、みごとレギュラーの座を獲得。
さらにはチームの副キャプテンを務め、ピッチャーやセンターとしてチームを引っ張る存在になりました。
高校3年生の2008年には、映画『DIVE!!』で主演という大役を務めていますが、この時期の池松壮亮さんは、長期間の拘束を伴う連続ドラマのレギュラー出演をあえて避け、単発のドラマや学業に影響の少ないスケジュールの仕事を優先していたといいます。
しかも、東京の高校に転校することなく、仕事のたびに福岡から飛行機で上京し、終わればすぐに地元へ戻って学校に通うという、文字通り〝往復の生活〟を貫徹しました。
こうしたストイックで硬派な日々を送っていた池松壮亮さんですが、やはりその端正なルックスと独特のオーラは隠せなかったようです。
当時は男子校だったため校内に女子生徒はいませんでしたが、文化祭の時期になると、池松壮亮さんを一目見ようと、周辺の女子校から女子生徒たちが押し寄せたといいます。
なお、同校の卒業生には、漫才師の博多華丸(はかた・はなまる)さんや、漫画家・映画監督のきうちかずひろさんなど、エンターテインメント界で異彩を放つ人物が名を連ねています。
池松壮亮の福岡市立野間中学校時代は、野球と映画出演に熱中!
中学時代、プロ野球選手をめざしていた!
池松壮亮さんの中学生時代はどうだったのでしょうか?
池松壮亮さんは、福岡市立野間中学校に在籍していました。
ちなみに、この野間中学校の同窓生には、のちに乃木坂46のメンバーとして活躍する一ノ瀬美空がいます。
池松壮亮さんは、その野間中学校で野球部に所属し、白球を追う日々を過ごしていました。
中学生だった頃の池松壮亮さんの夢は、俳優ではなくプロ野球選手だったといいます。
すでに子役として俳優としてのキャリアを歩み始めていたものの、その内面はスポーツに青春を捧げるごくふつうの少年でした。
中学生で『ラストサムライ』に出演!『鉄人28号』では主演!!
しかし、その一方で、池松壮亮さんはただの野球少年にはとどまっていませんでした。
中学1年生の2003年、ハリウッドの超大作映画『ラストサムライ』への出演を果たしたのです。
トム・クルーズ演じる主人公のネイサン・オールグレン大尉と心を通わせる日本の少年・飛源(ひげん)役に抜擢された池松壮亮さんは、その瑞々(みずみず)しくも堂々とした演技で世界中の映画関係者から大絶賛を浴びました。
驚くのは、当時の池松壮亮さんは、主演のトム・クルーズが世界的なハリウッドスターであることをまるで知らなかったということです。
大人の役者たちが現場の緊迫した雰囲気やスターの威光に震えるような緊張感を味わっている一方で、池松壮亮さんはそんな緊張感は無縁とばかり、ただ目の前の役と真っ直ぐに向き合っていました。
その物怖(ものお)じしない度胸と純粋さこそが、のちの国際的な評価へと繋がったのでしょう。
さらに2005年には、映画『鉄人28号』で主人公の金田正太郎役に起用され、弱冠15歳にして映画の主演を務める役者へと成長しました。
プロ野球選手という夢を追いかけ、部活動に汗を流す一方で、世界のトップクリエイターたちと作品を創造する希有(けう)な二面性が、池松壮亮さんに独自のバランス感覚を植えつけたのかもしれませんね。
池松壮亮は福岡市立大池小学校時代、ミュージカル出演!
劇団四季の『ライオンキング』に出演!
池松壮亮という役者が誕生する最初のステップとなったのは、福岡市立大池小学校に通っていた時期です。
福岡市南区の自然豊かな環境に囲まれた地域で、池松壮亮さんは父親、母親、姉、妹、7歳年下の弟という、6人家族のなかで育ちました。
父親は建設会社を経営しており、比較的裕福で、のびのびとした家庭環境だったようです。
実家の裏山はサルやフクロウ、ヘビなどが姿を現すほど自然豊かで、子ども時代は兄弟や近所の友人たちと泥だらけになって駆け回る、活発な少年期を過ごしていました。
一方、池松壮亮さんは両親の勧めで、姉とともに地元の児童劇団に在籍していました。
10歳だった2001年、劇団四季のミュージカル『ライオンキング』の福岡公演のオーディションに合格。
重要な役どころであるヤングシンバ役に抜擢(ばってき)され、華々(はなばな)しい舞台デビューを果たしました。
なお、この公演では姉・池松日佳瑠(いけまつ・ひかる)さん(のちに劇団四季の劇団員として活躍)もヤングナラ役に合格しており、姉弟で同じステージに立っています。
また、幼馴染(おさななじみ)であり、のちに宝塚歌劇団花組の男役として活躍することになる和海(かずみ)しょうさんとは、小学校時代からの友人です。
母親の機転で俳優・池松壮亮は誕生した?
このように書いてくると、池松壮亮さんは幼い頃から英才教育を受け、本人も芸能活動に強い意欲を持っていたように感じられますが、事実はまるで逆でした。
当時の池松壮亮少年が何よりも愛していたのは野球であり、元プロ野球選手の新庄剛志(しんじょう・つよし)氏が創設に関わったことでも知られる地元の名門軟式少年野球チーム「長丘ファイターズ」に所属し、野球に夢中になっていたのです。
そのため、劇団のオーディションに対しても、当初は「絶対に受けたくない、野球をしていたい」と強く拒絶していました。
そこで困った母親が思いついたのが、当時少年たちの間で大流行していた野球カードでした。
「オーディションを受けたら、野球カードを買ってあげるから」と池松壮亮少年を説得したのです。
池松壮亮少年は、その母親の言葉につられ、カード欲しさに審査に臨みました。
すると、あれよあれよという間に合格してしまったというのです。
もしもこのとき、母親が野球カードのことを持ち出していなければ、俳優・池松壮亮は誕生していなかったかもしれません。
そう考えると、人生の巡り合わせの妙を感じずにはいられませんね。
学歴が〝俳優・池松壮亮〟を築き上げた
池松壮亮さんの学歴を大学時代から小学校時代にまでさかのぼって見てくると、1つの共通項があるように感じられます。
それは、池松壮亮さんが、結果的であるにしろ、常に〝芸能界という特殊な村の論理〟だけに染まらず、芸能界とは別の世界の論理にも触れていたということです。
そのため、池松壮亮さんは、子役あがりの俳優にありがちな、世間離れした感覚や早熟ゆえの燃え尽き症候群とは無縁であるように見えます。
それは、泥にまみれながら野球に打ち込み、福岡のハイレベルな進学校で一般の生徒たちと机を並べて受験勉強に励み、大学では〝映画監督の視点〟から映画を冷徹に見つめ直すという〝複眼的な生き方〟を彼自身が選択し、実践してきたからにほかなりません。
池松壮亮さんの映画愛は深く、多いときには年間200本以上の映画を映画館で観るそうです。
その一方で、書道、ピアノ、乗馬、ラグビー、水泳など、多趣味を誇ります。
これらはすべて、池松壮亮さんが学校生活のなかで好奇心の赴(おもむ)くままに吸収し、みずから血肉化した財産です。
静かで几帳面(きちょうめん)な青年から、狂気を孕(はら)んだアウトロー、そして『豊臣兄弟!』で見せた圧倒的な人間味あふれる豊臣秀吉まで、池松壮亮さんがどんな役柄を演じても、そこに確かなリアリティと説得力が宿るのは、学生時代に俳優業だけにとどまらないさまざまな経験をしたことで、地に足のついた演技の土台が築かれたからでしょう。
その意味で、池松壮亮さんの学歴は、そのまま彼が人間としての土台をいかに丁寧に築き上げてきたかを示す、何よりの証明書だと言えるのです。
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