松坂桃李が大学を中退した理由に衝撃!すごっ(*゚0゚*)

松坂桃李 大河ドラマ

【この記事のポイント】

松坂桃李(まつざか・とおり)さんはドラマの影響で産業能率大学へ進学するも、将来に悩み悶々とした日々を過ごす。
大学2年生のときに友人の勧めで応募したオーディションに合格し、芸能界入りを果たす。
俳優デビュー作の過酷な撮影により、演技への情熱に目覚めて大学を休学する。
役者として生きるため親の猛反対を押し切って大学中退し、退路を断ち、トップ俳優へ上り詰める。
葛藤や挫折を乗り越えた経験を糧(かて)に、2027年のNHK大河ドラマで主演を務める。

松坂桃李の出身大学は産業能率大学経営学部

松坂桃李(まつざか・とおり)さんは高校を卒業した後、私立大学である産業能率大学の経営学部に進学しました。

産業能率大学は東京都世田谷区に本部を置く、経営系の学部を展開している大学です。

松坂桃李さんは、その産業能率大学の湘南キャンパス(神奈川県伊勢原市)に通っていました。

当時の産業能率大学経営学部の偏差値は46から55程度とされており、比較的入学しやすい難易度でした。

松坂桃李さん自身は出身大学を公表しているわけではありませんが、インターネット上やSNSなどでは在籍情報が多数あり、ファンの間でも広く知られています。

松坂桃李さんが産業能率大学への進学を決めた動機には、学生時代ならではの憧れが関係していました。

松坂桃李さんは高校生のとき、大学生活を瑞々(みずみず)しく描いて大きな話題となったテレビドラマ『オレンジデイズ』(TBS系、2004年)にハマっていました。

松坂桃李さんはそのドラマ『オレンジデイズ』を観て「自分もこのような充実した楽しい大学生活を送ってみたい」と強く願い、同じようなキャンパスライフを体験することを夢見て産業能率大学の経営学部へ進学したのです。

しかし、実際に始まった大学生活は、松坂桃李さんが思い描いていたようなドラマチックな展開ばかりではありませんでした。

松坂桃李さんは当時の自分自身の様子について、「大学時代までは基本的には周囲に流されてきた」と振り返っています。

当時は就職活動や将来の夢に対する明確なビジョンを持っていたわけではなく、日々の生活のなかでなりたいものや進みたい方向性も定まっていませんでした。

松坂桃李さんは当時の状況を「ぬるま湯に浸かっているような状態だった」と表現しており、基本的には学校に通いながらずっとアルバイトを継続しているような、ごく一般的な大学生としての日々を過ごしていました。

私は、テレビドラマの『オレンジデイズ』に影響されて進学先を決めたという松坂桃李さんのエピソードに、親しみやすい人柄と若者らしい素直さを感じます。

個人的には、誰もが通るような〝将来への迷い〟を抱えながら、ぬるま湯のような環境で過ごしていた松坂桃李さんが、実力派俳優へと成長していくプロセスの第一歩にこの大学生活があったと思うと、とても興味深く感じます。

松坂桃李の大学生活:ドナルドダックのモノマネでオーディション合格!

将来の目標が定まらないまま大学生活を続けていた松坂桃李さんですが、大学2年生のときに人生を大きく変える転機が訪れます。

松坂桃李さんは、大学の友人の熱心な勧めに乗り、遊び半分で雑誌『FINEBOYS』のモデルオーディションである「チャレンジFBモデル2008オーディション」に応募しました。

当時の松坂桃李さんは芸能界に対して強い憧れや野心を抱いていたわけではなく、あくまでも経験作りの一環として、友人の言葉に乗る形でオーディションを受けたに過ぎませんでした。

そのため、松坂桃李さんは最終審査の会場で周囲の参加者たちの熱意に圧倒されることになります。

他のオーディション参加者たちは、自己PRの場でギターの弾き語りを披露したり、特技である中国語の歌を熱唱したりするなど、芸能界入りを目指して洗練されたパフォーマンスを次々と繰り出していました。

これといった芸能活動の準備をしていなかった松坂桃李さんは、特技を披露する瞬間に、苦肉の策として「ドナルドダックのモノマネ」を審査員の前で披露しました。

このあまりにも周囲とかけ離れたパフォーマンスを終えた後、松坂桃李さんは「これは絶対に落ちた」と確信し、合格する見込みはまるでないと思っていました。

しかし、審査員は松坂桃李さんが持つ独特の存在感や飾らない魅力を高く評価し、松坂桃李さんは見事にグランプリを受賞したのです。

このグランプリ受賞によって、松坂桃李さんは大手芸能事務所「トップコート」への所属が決まりました。

また、同時に、同事務所の養成所である「Artist★Artist」へ第8期生として入校し、モデルと芸能人としてのキャリアをスタートさせました。

私は、周囲が必死に格好良い特技をアピールする緊迫した状況のなかで、ドナルドダックのモノマネというユーモラスな行動を選んだ松坂桃李さんの度胸に驚いてしまいました^^;

個人的には、変に自分を飾り立てようとせず、等身大の姿をそのまま見せた松坂桃李さんのピュアなキャラクターこそが、多くの審査員の心をつかむ最大の要因になったのではないかと思います。

松坂桃李は大学を休学:俳優デビュー作『侍戦隊シンケンジャー』で変化した心境とは?

事務所に所属した松坂桃李さんは、大学3年生となった2009年に俳優として本格的なデビューを飾ります。

松坂桃李さんは子ども向け特撮番組『侍戦隊シンケンジャー』(テレビ朝日系、2009年)のオーディションに合格し、主役である志葉丈瑠(しば・たける)/シンケンレッド役に大抜擢されました。

この作品は松坂桃李さんにとって初めてのテレビドラマ主演であり、同時に同作の劇場版である『侍戦隊シンケンジャー 銀幕版 天下分け目の戦』への出演によって映画デビューも果たすこととなりました。

しかし、特撮番組の主演という大役は、大学生活を継続する点でとても厳しい試練をもたらしました。

『侍戦隊シンケンジャー』の撮影は早朝から深夜に及ぶなどスケジュールが極めて過酷で、さらに、作品の撮影を円滑に進めるために、松坂桃李さんは実家を出て一人暮らしを始めなければなりませんでした。

学業と撮影の両立が物理的に困難となった結果、松坂桃李さんは大学を休学するという決断を余儀なくされました。

松坂桃李さんは後年のインタビューで、当時はオーディション自体も受かると思っていなかったため、いきなり「戦隊のレッドです」と役を言い渡されたときは困惑したと告白しています。

また、演技の経験がまったくない状態で現場に臨(のぞ)んだため、最初の頃は「やらされてる感が強くて、正直きつかった」と本音を吐露(とろ)していました。

しかし、毎日のようにスタッフや共演者と激しい芝居を重ね、作品を作り上げていくうちに、松坂桃李さんのなかで「これからも役者を続けたい」という強い欲求と情熱が芽生えてきました

『侍戦隊シンケンジャー』という厳しい現場を最初に経験したことによって、松坂桃李さんはその後、どんなに過酷な映画やドラマの撮影現場でも、いっさい物怖(ものお)じしない強い精神力を手に入れることができたのです。

私は、最初は「やらされている」と感じていた松坂桃李さんが、過酷な撮影現場のなかで、俳優という職業の本質的な魅力に気づき、主体的に芝居に取り組むようになっていったエピソードに、プロとしての意識の芽生えを感じました。

個人的には、大学を休学してまでシンケンジャーの撮影にすべてを注ぎ込んだ日々があったからこそ、現在の松坂桃李さんの芯(しん)のあるお芝居が生み出されているのだと思います。

松坂桃李の〝人生最大の決断〟とは?親の猛反対を押し切った大学中退

松坂桃李さんは、『侍戦隊シンケンジャー』の撮影が始まった当初は、1年間の放送と撮影が終了すれば、そのまま大学に復学し、卒業するつもりでいました。

松坂桃李さんの家族環境を見ると、父親は臨床心理士として大学で心理学を教えており、母親は大学職員で、教育に対してとても熱心な家庭でした。

一方で、松坂桃李さんの役者としての才能は、すでに世間に認められていました。

『侍戦隊シンケンジャー』の終了後、テレビドラマや映画などの出演オファーが続々と舞い込み、松坂桃李さんの休学期間は結果的に2年間に及びました。

これ以上の休学が認められない段階に達したとき、松坂桃李さんは学業に戻って一般的な社会人を目指すか、それとも役者一本で生きていくかという、人生の大きな岐路に立たされることになります。

松坂桃李さんは、最終的に役者として生きていくと強く決意し、親の猛反対を完全に押し切る形で大学を退学(中退)する道を選びました。

この選択によって、松坂桃李さんは〝学歴を身につけて安定した人生を送る〟という選択肢をみずから捨て、芸能界という明日をも知れぬ厳しい世界に身を投じることとなったのです。

松坂桃李さんは、大学中退というみずからの行動を、のちに「人生最大の決断」であったと振り返っています。

そして、親の反対を押し切って退路を断ったことについて、松坂桃李さんは「何一つ後悔していない」と断言しています

不退転(ふたいてん)の覚悟を決めてからの松坂桃李さんの活躍は凄まじく、24歳となった2012年には、NHKの連続テレビ小説『梅ちゃん先生』でヒロインの相手役を務め、話題となりました。

その後も、2018年公開の映画『孤狼の血』で第42回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞、2019年公開の映画『新聞記者』で第43回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞するなど、日本を代表するトップクラスの名優としての地位を不動のものにしていきました。

私は、両親の反対を押し切ってまで自分の選んだ道を突き進んだ松坂桃李さんの行動に、並々ならぬ強い意志を感じます。

俳優として生きていくために大学を中退して退路を断った松坂桃李さんは、勇気をもって人生の決断を下したのだと思います。

そして、このときにあえて安定した〝正解の道〟を捨て、自身を追い込んだからこそ、松坂桃李さんは数々の映画賞を総ナメにするほどの高い演技力を開花させることができたのではないかと思います。

松坂桃李が大学進学するまでの出来事は?

大学時代に大きな決断を下した松坂桃李さんですが、その人間性の基礎や魅力的なキャラクターは、幼少期から高校時代にいたるまでのさまざまな経験によって形作られてきました。

松坂桃李の大学進学以前①:厳格な家庭環境と個性的な名前の由来

松坂桃李さんは、両親と姉、妹の5人家族のなかで、3人きょうだいの真ん中として育ちました。

出生名である「桃李」(とおり)という名前は、中国の歴史家である司馬遷(しばせん)の『史記』に記された言葉「桃李不言下自成蹊」(とうりものいわざれども、したおのづからこみちをなす)と、中国の故事である「桜梅桃李」の2つに由来しています。

前者は「誰からも慕(した)われる徳のある人」になってほしいという父親の願いであり、後者は「自分らしさを大切にしてほしい」という母親の願いが込められています。

読み方は両親のこだわりによって「とうり」ではなく「とおり」とされました。

臨床心理士の父親と大学職員の母親によるしつけは厳しかったようで、特に挨拶(あいさつ)に関しては厳しくしつけられ、テレビを見ながら食事をすると叱(しか)られたそうです。

松坂桃李の大学進学以前②:小学校時代のいじめ体験と転校

松坂桃李さんは、茅ヶ崎市立東海岸小学校に入学しましたが、当時は周囲にない変わった名前であったことから、いじめの対象となってしまいました。

クラスメイトから無視をされたり、机に落書きをされたり、教科書を隠されたりするなどの嫌がらせを受けたため、松坂桃李さんは小学校4年生のときに同じ茅ヶ崎市内の松浪小学校へと転校を余儀なくされました。

それまでは活発な性格だった松坂桃李さんですが、小学校時代のいじめが原因で、根暗で感情の起伏に乏しい少年になってしまい、転校先では目立たない生徒として過ごしていました。

ちなみに、松坂桃李さんの当時の将来の夢は俳優ではなく、図工が好きだったことから漫画家になることや、消防士になることでした。

松坂桃李の大学進学以前③:中学校時代はバスケットボール部、松浦亜弥は2学年上の先輩

小学校を卒業した松坂桃李さんは、茅ヶ崎市立松浪中学校へ進学します。

松坂桃李さんは漫画『SLAM DUNK』の登場人物である宮城リョータに強い影響を受け、女子にモテたいという一心でパーマをかけ、バスケットボール部に入部しました。

部活動の顧問の先生はとても厳しく、シュートを外すと蹴(け)られるのが当たり前のような環境でした。

部員全員で反発して退部届を突きつけようと計画したものの、1人だけ裏切って練習に参加した部員の姿を見て、最終的には全員で顧問の先生に頭を下げて部活に戻ったという苦い思い出もあります。

ところで、2学年上には、のちにトップアイドルとなる歌手の松浦亜弥(まつうら・あや)さんが在学していました

1年生の松坂桃李さんは松浦亜弥さんにサインをもらいに行きましたが、学校内でのサインを禁止されていたためやんわりと断られたそうです。

当時の松浦亜弥さんについて、松坂桃李さんは、「歩くたびにキラキラした残り香が残っていく感じの、本物のスターだった」と語っています。

松坂桃李の大学進学以前④:高校時代の地味な生活と進路への悶々とした悩み

中学校を卒業した松坂桃李さんは、私立の共学校である相洋高校へ進学しました。

相洋高校は神奈川県小田原市にあり、部活動が盛んなマンモス校として知られています。

松坂桃李さんがあえて地元の茅ヶ崎市から離れた高校を選んだ理由は、人見知りを克服し、もっと自分を表現できるようになるために、中学時代の友人が1人もいない環境に身を置きたかったからだそうです。

高校時代の松坂桃李さんは部活動には所属せず、スーパーや居酒屋でのアルバイトに精を出していました。

アルバイトで稼いだ給料の約4割を母親に手渡すなど、親孝行な一面がありました。

姉のアドバイスでファッションに興味を持ち、アルバイト代でピチピチのスキニーデニムを購入したものの、タイトすぎて自転車のペダルが漕(こ)げなかったという笑える失敗談もあります。

しかし、高校時代の松坂桃李さんは決してクラスの中心で騒ぐような目立つ存在ではなく、インタビューでも「すごく地味な学生だった」と語っています

バレンタインデーにもらうチョコレートはすべて義理チョコであったなど、当時はさほどモテる存在ではありませんでした。

あるインタビューのなかで、松坂桃李さんは17歳だった高校生時代の自分自身を振り返り、「大学の進路で悩んでいた時期ですね。何を目指すべきなのか。自分は何がやりたいのか。でも、やりたいことも特に浮かんでこない。悶々(もんもん)とした時間を送っていた気がします」と回想しています

明確な目標を持って突き進んでいる現在の姿とは異なり、高校生の頃の松坂桃李さんは、将来に対して深い不安と迷いを抱えていたことがわかります。

私は、松坂桃李さんが幼少期のいじめによる性格の変化や、中学校・高校時代における地味で目立たない日常、そして進路に対する深い葛藤を経験してきたことを知り、共感と親近感を覚えました。

〝決して華やかなことばかりではなかった下積みのような学生時代〟を経験し、人びとの痛みがわかるようになったからこそ、松坂桃李さんはさまざまな役柄の心情をリアルに表現できる深みのある役者になれたのだと私は思います。

松坂桃李主演の2027年大河ドラマ『逆賊の幕臣』に期待!

松坂桃李さんは、2027年のNHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』において、主人公の小栗忠順(おぐり・ただまさ)役を演じることが決まっています。

小栗忠順は、幕末の激動の時代において、周囲の猛反対や激しい時代の波に晒(さら)されながらも、日本の近代化のためにみずからの信念を曲げずに生き抜いた伝説的な幕臣です。

「松坂桃李 大学」というキーワードで検索する多くの視聴者やファンは、大河ドラマの主演という大役を射止めた松坂桃李さんが一体どのような背景を持って生きてきた人物なのかを知りたいと考えているはずです。

高校時代に進路について思い悩み、テレビドラマの影響だけで大学へ進学した青年が、過酷な撮影現場のなかで演じることの本質に目覚め、親の猛反対を押し切って大学中退という「退路を断つ決断」を下したという事実は、まさに大河ドラマの主人公が持つ劇的な生きざまと重なり合う部分があります。

松坂桃李さんは、2026年のインタビューで、20年前の悩んでいた自分自身に伝えるべき言葉として、「あいさつをしっかりとすること。先輩を敬う。そして思いやる心。それをすべて継続していけば、他に何か変わる必要はない」と言い切っています。

この言葉は、臨床心理士の父親や大学職員の母親から幼少期にしつけられた教育の賜物(たまもの)であり、大学を中退して芸能界という荒波に飛び込んだあとも、松坂桃李さんが頑(かたく)なに守り続けてきた人生の軸です。

大学を中退するという大きな決断を下し、何一つ後悔することなく努力を積み重ねてきたからこそ、松坂桃李さんは日本アカデミー賞最優秀主演男優賞をはじめとする数々の栄誉を手にし、大河ドラマの主演という俳優としての最高峰の舞台に立つ資格を得たのです。

私は、みずからの意思で大学を中退し、退路を断って役者として進んできた松坂桃李さんの生き方をカッコよく思います。

周囲の反対を押し切ってみずからの人生を切り拓いてきた松坂桃李さんだからこそ、幕末という動乱期にみずからの信念を貫いて日本の未来を築こうとした小栗忠順の圧倒的な覚悟を、説得力を持って演じ切ることができるのではないかと期待しています。

2027年の大河ドラマで松坂桃李さんが見せてくれるであろう渾身の演技が、今からとても楽しみですね^^

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