芹沢鴨の暗殺の真相は?お梅と〝最強の資格〟も徹底解説!

芹沢鴨 幕臣(幕末)/藩士/志士

【この記事のポイント】

  • 芹沢鴨(せりざわ・かも)は新選組の初代筆頭局長であり、組織の土台を創り上げた文武両道の人物だった。
  • 酒乱による乱暴狼藉や金銭強要を繰り返し、治安維持を担う会津藩から問題視された。
  • 会津藩の密命を受けた近藤勇らにより芹沢鴨は暗殺され、その死は病死と偽られた。
  • 芹沢鴨の暗殺に巻き込まれて命を落とした愛妾のお梅の死は、浮浪者のせいにされた。
  • 芹沢鴨の粛清は近藤が組織を存続させるための転換点であり、最強の組織への礎となった。

芹沢鴨暗殺の背景とは?

芹沢鴨は新撰組の初代トップ

新選組(しんせんぐみ)といえば、近藤勇(こんどう・いさみ)、土方歳三(ひじかた・としぞう)、沖田総司(おきた・そうじ)の3人が有名ですよね。

実は、近藤勇たち表の主役の陰に隠れた、もう1人の初代トップがいたことをご存知でしょうか。

名前は、芹沢鴨(せりざわ・かも)。

一般的にはただの乱暴者、大悪党として片づけられがちな人物です。

しかし、芹沢鴨をただの困った人として終わらせるのは、あまりにも惜しいと感じています。

芹沢鴨がいなければ、あの有名な新選組はこの世に誕生していないからです。

1863年の春、壬生浪士組(みぶろうしぐみ)が結成された当初から、芹沢鴨は筆頭局長の1人として強力な主導権を握りました。

水戸藩出身の芹沢鴨が率いる一派は、尊王攘夷(そんのうじょうい)の志(こころざし)を掲げています。

近藤勇よりもむしろリーダーシップを発揮し、組織の土台を創り上げます。

芹沢鴨の目に余る乱暴狼藉

しかし芹沢鴨は、極端な酒乱でした。

芹沢鴨が率いる一派は、尊王攘夷の志を掲げつつも、京都の市中で酒宴の席での乱暴狼藉(らんぼうろうぜき)や、商家への金銭強要といった横暴を繰り返します。

これらの行為は、京都守護職として幕府の威信を背負う会津藩にとって、治安維持を阻害(そがい)し、名声を著しく損なう見過ごせない問題でした。

そこで、ある密命(みつめい)が近藤勇のもとに届けられます。

会津藩の望み

芹沢鴨の暗殺は、会津藩の意向を受けた、組織ぐるみの粛清(しゅくせい)でした。

会津藩から排除の密命を受けた近藤勇ら試衛館派(しえいかんは)は、組織の存続と規律の確立のために粛清の準備を進めます。

1863年9月18日の夜、宿舎である壬生の八木邸(やぎてい)にて、酒に酔い就寝中だった芹沢鴨は、土方歳三・沖田総司らによって襲撃され、命を落としました。

事件の翌日、組織は芹沢鴨を病死として届け出て、公的な混乱を回避しています。

新選組は最強の警察組織へ

この暗殺によって新選組の指導権は近藤勇と土方歳三の手に移り、局中法度(きょくちゅうはっと)の運用が厳格に行われるようになります。

芹沢鴨の死は、新選組が規律を持った集団として完成するための、血塗られた通過点でした。

結果として、新選組が幕末の京都において最強の警察組織として認知されるための、決定的な転換点となったのです。

この粛清がたんなる内部抗争ではなく、近藤勇が組織を生き永らえさせるために行なった冷徹な経営判断のように思えます。

芹沢鴨の妾・お梅は暗殺の巻き添えに

芹沢鴨が暗殺された夜、巻き添えで犠牲になった女性がいました。

芹沢鴨の愛妾(あいしょう)だった、お梅です。

お梅は、織物問屋・菱屋に縁のある女性で、京都の花街で芸妓(げいこ)として生きていたと伝わっています。

八木邸に滞在した人物が後年に語った証言によれば、色白の、かなりの美人だったとされています。

芹沢鴨にとって、お梅の存在とは?

気性の激しい芹沢鴨がお梅を一目で気に入り、みずからの宿舎へ呼び寄せたのは、孤立した男が唯一心を許せる場所を求めていたからではないでしょうか。

詳しい記録は残っていませんが、暴君と呼ばれ孤立を深めていた芹沢鴨にとって、お梅のいる部屋だけが、唯一のプライベートな空間だったのは確かでしょう。

運命の9月18日、お梅は芹沢鴨と同じ布団で寝ていました。

そこへ土方歳三たちが踏み込んできたのです。

刺客(しかく)たちの目的は芹沢鴨の暗殺でしたが、横にいたお梅の命も容赦なく奪いました。

ともに死ぬ覚悟があったわけではないでしょう。

ただ現場を見られただけという理由の、完全な口封じの巻き添えでした。

お梅の死因は、なんと届けられた?

翌日、新選組は芹沢鴨を病死と発表しただけでなく、お梅の死についても浮浪者に襲われたと嘘の届け出をしています。

名も記録もほとんど残らなかったお梅の最期は、罪のない女性にまで手をかけた刺客の冷酷さを静かに物語っています。

新選組は美化されがちですが、そのスタートラインがいかに血生臭く、容赦(ようしゃ)のないものだったかを、もっとも雄弁に示しているのが、このお梅の存在です。

新選組にはどうしても、陰湿なイメージがつきまとい胸が痛みます。

芹沢鴨の〝最強の資格〟とは?

ただの乱暴者のイメージがある芹沢鴨ですが、実は新選組のなかで誰よりもエリートの肩書きを持っていました。

芹沢鴨は、幕末の超名門流派である神道無念流(しんどうむねんりゅう)の免許皆伝(めんきょかいでん)という、剣術のプロとして最高位のライセンスを持つ人物でした。

さらに水戸学を学び、文章も書けるため、近藤勇たち天然理心流(てんねんりしんりゅう)の田舎剣士から見れば、まぶしいほどの文武両道のインテリだったのです。

しかし、芹沢鴨が高い技術を振るったのは、戦場ではなく、酒席での喧嘩(けんか)や、丸腰の商人に対する脅しばかりでした。

いつも鉄扇(てっせん)を振り回しては周囲を威圧していました。

ただし、実際に手をかけるようなことはしていません。

ですが、免許皆伝の腕前は皮肉にも近藤勇たちから恐れられ、粛清される原因となってしまいました。

芹沢鴨が本来持っていた能力の高さを思うと、暗殺されなければ、新選組の歴史はまったく別の道をたどっていたと感じます。

芹沢鴨、新選組の光と影を1人で背負った男

芹沢鴨は、決して英雄ではありません。

京都の街を恐怖に陥れた暴君であり、最期は身内に暗殺され、愛した女性まで巻き添えにした、血生臭い事件の当事者です。

しかし、芹沢鴨がいなければ新選組は誕生せず、芹沢鴨の死がなければ新選組は最強の組織になれなかったのです。

強烈な悪名と、それを身内が容赦なく切り捨てた冷酷なスタートラインがあったからこそ、新選組はのちに最強の警察集団へと変貌を遂げる結束を手に入れました。

近藤勇、土方歳三、沖田総司の陰には、その礎として闇に葬られた筆頭・芹沢鴨の存在がありました。

光があれば影がある。

新選組は、芹沢鴨という影があってこそ生まれたものだと思います。

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