空海展2024年:東京国立博物館、奈良国立博物館

空海 空海

2024年は、空海が生誕して1250年、また、空海が開いた真言密教の最初の拠点である神護寺(じんごじ)が創建されて1200年ということで、大規模な空海展が2つ開催されました。

1つは東京国立博物館で開催された「神護寺――空海と真言密教のはじまり」、もう1つは奈良国立博物館で開催された「空海 KŪKAI――密教のルーツとマンダラ世界」です。

どのような空海展だったのか、まとめておきたいと思います。

空海展2024年①:東京国立博物館

展覧会名:神護寺――空海と真言密教のはじまり

期間:2024年7月17日~9月8日

場所:東京国立博物館

神護寺(じんごじ)の歴史は古く、桓武天皇に平安遷都を勧めた和気清麻呂(わけのきよまろ)が781年に建立した高雄山寺(たかおさんじ)が起源です。

その後、高雄山寺は、やはり和気清麻呂が国家安泰を祈願して建立した神願寺(しんがんじ)と合併し、寺の名前が「神護国祚真言寺」(じんごこくそしんごんじ)、略して「神護寺」となりました。

824年のことです。

唐で密教を修得し、帰国した空海は、809年、合併前の高雄山寺へ入っています。

ちなみに、合併の背景には、高雄山寺を神願寺と合併することで、寺の格上げを狙った空海の思惑があったようです。

空海って、策士でもあったんですね。

高雄山寺は、空海が14年ものあいだ活動の拠点とし、神護寺となってからも、空海の弟子の真斉(しんぜい)が伽藍(がらん)を整えるなど、真言宗の根本道場として整備されました。

こうした経緯がある神護寺には、空海ゆかりの品をはじめ、密教美術の名品が数多く伝わっています。

「神護寺――空海と真言密教のはじまり」では、国宝17件、重要文化財44件を含む密教美術の名品など約100件が5章仕立てで展示されているのが特徴です。

私は2017年夏に神護寺に行ったことがありますが、すべての寺宝を鑑賞するにはいたりませんでした。

なので、この空海展には行ってみたかったですね。

▼空海の生涯についてくわしく知りたい方は、こちら↓↓↓

空海の生涯を年表でわかりやすく解説
この記事を読んでわかることは—— 空海が唐で何を学んだか 最澄とどのような関係だったのか 日本でどのようなことを行なったのか

第一章:神護寺と高雄曼荼羅

第一章の目玉は、「高雄曼荼羅」(たかおまんだら)です。

高雄山神護寺に伝わるため、「高雄曼荼羅」と呼ばれます。

「曼荼羅」というのは、真言密教の世界観を視覚化した絵図ですが、その曼荼羅にも、悟りへの道筋を表した「金剛界曼荼羅」(こんごうかいまんだら)と、真言密教の本尊である大日如来の慈悲を表した「胎蔵界曼荼羅」(たいぞうかいまんだら)の2種類があります。

この2つの曼荼羅を合わせて「両界曼荼羅」(りょうかいまんだら)と呼びますが、高雄曼荼羅は、この両界曼荼羅になります。

空海が唐から持ち帰った曼荼羅が傷んだため、その曼荼羅を手本にして、淳和天皇の願いで建てた灌頂堂(かんじょうどう)にかけるために、空海の指揮のもと、824年から10年かけて制作されました。

大きさは、4メートル四方にもなるとのこと。

現存最古の両界曼荼羅で、国宝になります。

これまで2回の修理が行われていますが、今回の修理は江戸時代以来、約230年ぶりで、その修理されたばかりのリフレッシュした高雄曼荼羅が、このあとご紹介する「空海 KŪKAI——密教のルーツとマンダラ世界」に続き、この空海展でも展示されたわけです。

きっと見応えがあったことでしょう^^

この他、第一章の主な展示物は――

  • 灌頂暦名(かんじょうれきみょう):国宝。空海が812年に高雄山寺で金剛界灌頂(11月15日)と胎蔵界灌頂(12月14日)を行なったときにみずから記した受法者の名簿。いちばん始めに最澄の名が記されています。この展覧会では、部分的な展示でした。
  • 文覚四十五箇条起請文(もんがくしじゅうごかじょうきしょうもん):国宝。度重なる火災などで荒廃した神護寺の再興へ向け、文覚(もんがく:俗名は遠藤盛遠。元北面の武士)が、1185年1月19日、神護寺の僧が守るべき規律や寺院運営にまつわる方針などを45箇条にしたものです。
  • 伝源頼朝像(でんみなもとのよりともぞう):国宝。黒い束帯姿(そくたいすがた)の鎌倉幕府初代征夷大将軍の源頼朝がほぼ等身大に描かれた肖像画です。鎌倉時代の作品です。なお、神護寺には、この伝源頼朝像の他に、伝平重盛像、伝藤原光能像の肖像画があります。

第二章:神護寺経と釈迦如来像――平安貴族の祈りと美意識

神護寺経」というのは、神護寺に伝わる「紺紙金字一切経」(こんしきんじいっさいきょう)のことで、鳥羽法皇が発願したとされます。

一切経が紺紙(藍染めされた紺色の紙)に金泥で書かれていて、もともとは5000巻以上ありましたが、そのうちの2317巻が現存しています。

半分以上も失われているのが残念ですね。

この展覧会で展示されたのは、神護寺経のうちの「大般若経 巻第一」(重要文化財)で、表紙には金銀泥で宝相華文様(そうほうげもんよう)が、見返しには釈迦如来の説法図が描かれています。

また、一切経を10巻ずつ保管するために制作された「経帙」(きょうちつ:重要文化財)も展示されました。

1149年ごろの制作で、神護寺のホームページでは、「墨染の竹簀(たけす:竹でつくったすのこ)を色糸で縞模様に編んでつなぎ、竹簀の下に敷いた雲母(うんも)のきらめきを透かして見せさらに縁に錦を貼り蝶型の金銅金具を置くなどの手のこんだ美しいもの」と記されています。

いやあ、ぜひとも実物を見てみたかったです。

第二章のもう1つの主な展示品が、「釈迦如来像」(国宝)です。

仏像ではなく、絵画です。

赤い衣を着た姿で描かれているので、「赤釈迦」と呼ばれています。

赤い衣を着た釈迦如来の絵は、とてもめずらしいですね。

肉体は金色。

赤い衣は截金文様(きりかねぼんよう:金箔などを細かく切って貼り付け、文様を表現する技法)に色とりどりの団花文(だんかもん:花やツルなどの意匠を丸くデザインした文様)が散らされたデザインで、衣の外縁は白くぼかしてあります。

神護寺では、前身の高雄山寺のときから法華会(法華経を読誦したり講義したりする集まり)を開いていますが、その法華会で使うために制作されたのではないかと考えられいます。

第三章:神護寺の隆盛

神護寺は鎌倉時代になると、上覚(じょうかく)や明恵(みょうえ)によって伽藍が整備されたり、後白河法皇や源頼朝から荘園を寄進されたりして、さらに発展しました。

1230年に描かれた「神護寺絵図」(重要文化財)は、神護寺の俯瞰図で、それぞれの建物に名前が付され、当時の様子がよくわかる絵図になっています。

また、灌頂の儀式に使われた「山水屏風」(せんすいびょうぶ:国宝)は、もともと貴族の邸宅の調度品で、穏やかな自然の風景のなかに貴族とその邸宅が描かれています。

現存する最古のやまと絵屏風です。

この他、密教の祈祷に使われる法具である「金銅梵釈四天王五鈷鈴」(こんどうぼんしゃくしてんのうごこれい)や「十二天屏風」などが展示されました。

第四章:古典としての神護寺宝物

幕末に活躍した復古やまと絵の絵師である冷泉為恭(れいぜいためちか)が描いた作品が展示されました。

冷泉為恭は、絵画技術を学ぶため、数々の古い絵画を模写したのだそうです。

神護寺の宝物では、「山水屏風」「伝源頼朝像」「伝平重盛像」「伝藤原光能像」を模写しています。

どれくらいオリジナルを再現しているのか、私も会場で確かめてみたかったですね。

第五章:神護寺の彫刻

最終章では、1200年にわたる神護寺の歴史のなかでつくられた仏像が一堂に展示されました!

これ、観たかった(泣)

目玉は2つ。

神護寺の本尊である「薬師如来立像」、そして「五大虚空菩薩坐像」(ごだいこくうぞうぼさつざぞう)です。

どちらも国宝です。

「薬師如来立像」は、高雄山寺と神願寺が合併して神護寺となったときに本尊として迎えられました。

ふだんは金堂に安置されています。

寺外初公開だったそうです。

神護寺へ行ったとき、実際に拝観しましたが、ややずんぐりした重量感ある造形で、ちょっとやそっとのことには動じないといった感じの落ち着いた表情の薬師如来でした。

平安初期彫刻の最高傑作だと言われています。

一方、「五大虚空蔵菩薩坐像」は、日本で制作された作例のうち、5体がそろう現存最古のものだそうです。

空海から神護寺の跡継ぎを託された弟子・真済(しんぜい)が、仁明天皇の発願により、多宝塔に安置するため、845年に造像されました。

像の大部分を1つの材から彫り出し、その上から木屎漆(こくそうるし)という素材で加工した、当時の最高技術を駆使した仏像です。

とてもきれいで上品な顔立ちで、5体そろっての寺外公開は初だったそうです。

この他、運慶の孫・康円(こうえん)が制作した「愛染明王坐像」や、江戸時代の仏師である吉野右京、大橋作衛門らが制作した「十二神将立像」や「二天王立像」などの仏像が展示されました。

空海展2024年②:奈良国立博物館

展覧会名:空海 KŪKAI——密教のルーツとマンダラ世界

期間:2024年4月13日〜6月9日

場所:奈良国立博物館

「かつてない空海展になります」

空海の生誕1250年を記念した特別展「空海 KŪKAI——密教のルーツとマンダラ世界」が開催される約半年前、奈良国立博物館の井上洋一館長は、東京での記者発表会で、そう語りました。

実際、その言葉どおりの展示会だったようです。

国宝28件、重要文化財59件を含む115件の展示は圧巻!

この展覧会も行ってみたかったですね……

展示は5章構成で、「第1章 密教とは——空海の伝えたマンダラ世界」「第2章 密教の源流——陸と海のシルクロード」「第3章 空海入唐——恵果との出会いと胎蔵界・金剛界の融合」「第4章 神護寺と東寺——密教流布と護国」「第5章 金剛峯寺と弘法大師信仰」でした。

とりわけ第1章の展示はユニークで、仏像は仏像だけ、書は書だけというような従来の展示方法をとらず、国宝の仏像群や重文の両界曼荼羅などによって空海が伝えようとした密教のマンダラ世界を立体的に再現してあったようです。

これは展示というより、信仰空間の再現と言ったほうがいいかもしれませんね。

目玉となった展示は、まず「高雄曼荼羅」。

上記「神護寺――空海と真言密教のはじまり」(東京国立博物館)のところでご紹介したように、空海が指揮して824年から10年かけて制作した両界曼荼羅です。

高雄山神護寺に伝わり、両界曼荼羅としては現存最古で、国宝に指定されています。

2022年に、230年ぶりの3回目の修理が完了し、金銀泥で描かれる諸尊の輝きがよみがりました。

また、「五智如来坐像」(国宝)も目玉の展示でした。

空海の孫弟子の恵運が848年に開いた安祥寺(あんしょうじ)に伝わる五智如来坐像です。

「五智如来」とは、大日如来、不空成就如来、阿弥陀如来、宝生如来(ほうしょうにょらい)、阿閦如来(あしゅくにょらい)の5つの仏を指します。

寺の創建後まもなく、851年から854年ごろにかけて造仏されたと考えられています。

5体がそろっている点では最古の五智如来像です。

2019年に国宝に指定されました。

わりと最近のことなんですね。

さらに、第2章で、金剛界曼荼羅の元になっている『金剛頂経』がインドネシアのジャワ島を経由した海路=「海のシルクロード」を伝って唐へ入り、「陸のシルクロード」を伝ってきた、胎蔵界曼荼羅の元になっている『大日経』と、空海の師・恵果のもとで融合したことが明らかにされたのも、この展覧会の目玉の1つでした。

これは高野山大学の学術協力があったからこそできた展示でした。

この展覧会において日本で初めて、インドネシアで出土した10世紀の金剛界曼荼羅彫像群が公開されましたが、密教がインドネシアにも伝わっていたなんて驚きです!

この他、「空海 KŪKAI——密教のルーツとマンダラ世界」では、次のような品が展示されました——

  • 文殊菩薩坐像(もんじゅぼさつざぞう:一級文物、西安碑林博物館):かつて長安にあった安国寺の跡から、いくつかの密教仏像とともに発見されました。長安で密教が盛んだったことを窺い知れる仏像です。
  • 諸尊仏龕(しょそんぶつがん:国宝、金剛峯寺):仏龕とは仏像や経文などを安置するための厨子や入れ物のことです。この仏龕は3面開きになっていて、折りたたむと仏塔(ストゥーパ)の形になります。師の惠果から受け継いだ空海が常に身の周りに置いていたことから「枕本尊」と呼ばれています。
  • 弘法大師行状絵詞(こうぼうたいしぎょうじょうえことば:重要文化財、教王護国寺):空海生誕600年を記念して南北朝時代に制作された絵巻で、全十二巻あります。この展覧会で展示されたのは巻第三の一部です。遣唐使として海をわたり、恵果と出会うシーンが描かれています。
  • 錫杖頭(しゃくじょうとう:国宝、善通寺):「錫杖」とは、山野を歩くための杖(つえ)です。密教では、僧侶や修験者が身に降りかかる危険や煩悩を振り払うための法具として使われます。9世紀につくられたこの錫杖の頭部は、両面に阿弥陀三尊と二天をかたどった装飾が特徴です。
  • 金銅密教法具(こんどうみっきょうほうぐ:国宝、教王護国寺):真言宗最大の法会である「後七日御修法」(ごしちにちみしほ:毎年1月8日から14日まで教王護国寺〈東寺〉で行われる真言宗最高の儀式)で使う法具です。この展覧会で展示されたのは、唐から帰国後に空海が朝廷へ提出した『御請来目録』に記載された品そのものです。
  • 両界曼荼羅(西院曼荼羅〈伝真言院曼荼羅〉:国宝、教王護国寺):彩色の両界曼荼羅としては現存最古です。現在の御影堂(みえいどう)である西院(さいいん)に伝わったので、「西院曼荼羅」(さいいんまんだら)とも呼ばれています。平安京の大内裏(だいだいり)にあった修法道場である真言院の御七日御修法用として伝わっています。
  • 聾瞽指帰(ろうこしいき:国宝、金剛峯寺):空海が24歳のときの著作。この著作によって、儒教、道教、仏教を比較し、仏教がもっともすぐれていることを親族に示し、出家することを宣言しました。下巻のみの展示でした。
  • 灌頂歴名(かんじょうれきみょう:国宝、神護寺):空海が812年に高雄山寺で金剛界灌頂(11月15日)と胎蔵界灌頂(12月14日)を行なったときにみずから記した受法者の名簿です。いちばん始めに最澄の名が記されています。上記「神護寺――空海と真言密教のはじまり」同様、部分的な展示でした。
  • 金剛般若経開題残巻(こんごうはんにゃきょうかいだいざんかん:国宝、奈良国立博物館):書名のなかの「開題」とは、仏教経典の題目を解釈し、その要点を述べることですが、空海が密教の立場から『金剛般若経』を解釈した著作です。空海自身による推敲(すいこう)の跡が残されています。部分的な展示です。
  • 伝船中湧現観音像(でんせんちゅうゆうげんかんのんぞう:国宝、龍光院):空海が乗った遣唐使船に現れ、嵐を鎮めた観音菩薩を描いた仏画です。とてもきらびやかな絵のようです。
  • 孔雀明王坐像(くじゃくみょうおうざぞう:重要文化財、金剛峯寺):孔雀は毒虫を食べることから、孔雀明王は人間の三毒=貪瞋痴(とんじんち:欲、怒り、無知)を食べ、浄化してくれる仏として崇(あが)められてきました。本展で展示されたのは、後鳥羽上皇の祈願所であった高野山孔雀堂の本尊で、快慶の作品です。

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空海の生涯を年表でわかりやすく解説
この記事を読んでわかることは—— 空海が唐で何を学んだか 最澄とどのような関係だったのか 日本でどのようなことを行なったのか

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最澄と空海を比較してわかりやすく紹介!
最澄と空海は、平安時代の最重要人物です。天台宗と真言宗という宗派を開き、日本仏教の基礎を築きました。最澄と空海は、それぞれどんな生涯をたどったのでしょうか?一方で、空海と最澄は、学校の定期試験や入学試験でよく出題されます。とりわけ、開祖と宗...
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