浅井長政(あざい・ながまさ)は、近江(おうみ:現在の滋賀県)を治めた戦国大名で、15歳の若さで家督を継ぎ、六角氏から独立しました。
武勇に優れ、織田信長の妹・お市の方を迎えて織田家と同盟を結びますが、古くからの盟友である朝倉氏との関係を重んじたため、信長と対立します。
「姉川の戦い」で敗れ、小谷城に追い詰められると、最後は妻子を逃し自害。
義理を貫いた誠実な武将として知られています。
この記事では、イケメンや高身長と称された浅井長政の魅力や、お市の方との逸話を、浅井長政の生涯をたどりながら解説していきます。
浅井長政がイケメンと語り継がれるのはなぜか?織田信長が最愛の妹を託した誠実な器量
浅井長政は1545年、浅井家の嫡男(ちゃくなん)として北近江に生まれました。
浅井家はもとは近江守護・京極氏の家臣でしたが、祖父・亮政(すけまさ)の代に実力を伸ばし、戦国大名へと成長した家柄でした。
しかし、父・久政(ひさまさ)の代になると六角氏の圧力に屈してふたたび従属するようになり、浅井家のなかには不満が高まっていました。
この危機において家臣たちが立てたのが、15歳の浅井長政です。
家臣たちの推挙によって、隠居した父に代わり、浅井長政は家督を継ぎ、六角氏からの独立を宣言します。
反旗を翻(ひるがえ)した浅井家を攻めてきた六角軍を退けた浅井長政は北近江をふたたび掌握し、浅井家の威信を取り戻しました。
若くして家をまとめ、誠実に領民と向き合った浅井長政は、人びとの信頼を集めました。
こうした浅井長政の姿が、後世の「イケメン」というイメージの源になったと考えられます。
一方、北近江の実力者となった浅井長政に目を向けたのが、勢いを増す織田信長でした。
美濃攻めを進める織田信長にとって、浅井長政との同盟は背後の安全を確保する重要な一手でした。
織田信長は妹・お市の方を浅井長政に嫁がせ、両家は婚姻によって強固に結ばれます。
「戦国一の美女」と称されたお市の方は、織田信長が最も慎重に扱っていた存在です。
その妹を託す価値があると織田信長が認めたこと自体、浅井長政が若くして武勇・知略・誠実さを兼ね備えた人物だったことを示しています。
浅井長政が「イケメン」と語られるのは、六角氏を退けた統率力、家臣や領民に向き合う誠実さ、そして織田信長がもっとも大切にした妹を託されるほどの器量、そうした内面の魅力が大きく関わっているのではないでしょうか。
浅井長政、身長180cmの衝撃!戦国の常識を超えた巨躯と、義に殉じた29年の生涯
浅井長政の身長について確かな史料は残されていませんが、伝承では180cm近い長身と語られています。
戦国時代の男性の平均身長が150〜155cmだったことを考えると、当時としては驚くべき体格であり、戦場でもひときわ目立つ存在だったと想像できます。
また、織田信長も170cmほどとされ、こちらも戦国期としては高身長です。
浅井長政と織田信長が並び立つ姿は、まさに戦国の風雲児らしい迫力を備えていたに違いありません。
一方、浅井長政の妻・お市の方も165cmほどと伝わり、当時の女性としては異例の高身長です。
これは現代の感覚でいうと、180cmの浅井長政と165cmのお市の方は、現代なら195cmと180cmのカップルに近いインパクトだったと考えられます。
「美男美女の夫婦」と語られるのも納得できる組み合わせですね。
浅井家が領民から慕(した)われていたと言われる背景にも、浅井長政の人望と風格があったのかもしれません。
そんな浅井長政は、織田信長と同盟を結び、お市の方を迎えて浅井家の基盤を固めました。
しかし、浅井長政には越前・朝倉家への恩義があり、織田信長と同盟を結ぶ際には「朝倉家との不戦」が条件となっていました。
織田信長が上洛の要請を拒んだ朝倉家を攻めると、浅井長政は織田信長との同盟か、朝倉家への恩義かという板挟みに立たされます。
最終的に、浅井長政は朝倉家に味方し、金ヶ崎で織田信長を背後から急襲します。
「姉川の戦い」では敗れながらも、志賀の陣では反撃し、一時は織田信長を追い詰めるほどの勢いを示しました。
しかし、情勢は覆(くつがえ)らず、1573年に朝倉氏が滅ぶと浅井家は孤立してしまいます。
小谷城で妻子を逃したあと、浅井長政は潔(いざぎよ)く自害し、その生涯は29年で幕を閉じました。
戦場で大柄な身体を躍動させ、兵を率いて駆けた浅井長政。
その雄姿は多くの武士の目に深く刻まれたことでしょう。
浅井長政とお市の方、仲睦まじき愛の結末と歴史を動かした三姉妹の絆
浅井長政とお市の方の仲は、戦国時代の夫婦としては良好であったと語り継がれています。
2人は政略結婚で結ばれたにもかかわらず深い信頼関係を築き、戦乱のなかでも温かい家庭をつくりました。
浅井長政が22歳、お市の方が19歳前後のときの婚姻とされ、当時の女性としてはやや遅い結婚でした。
お市の方は「戦国一の美女」と称され、織田信長がもっとも大切な局面まで温存していた切り札でした。
それだけに浅井家との同盟は織田信長にとって重要であり、浅井長政もまたお市の方を大切に迎え入れました。
やがて浅井長政は織田信長と敵対する苦しい立場に追い込まれますが、それでもお市の方とともに生きる道を模索しました。
小谷城落城の際には、浅井長政はお市の方と子どもたちを守るため、お市の方たちを織田信長のもとへ送りました。
一方、お市の方は兄・織田信長に対し、浅井長政の助命を嘆願したと伝えられています。
しかし、織田信長から降伏を勧められた浅井長政はこれを拒み、自害の道を選びました。
お市の方の願いは叶いませんでしたが、この逸話は2人の夫婦の絆の深さを象徴しています。
その後、お市の方は織田家の重臣の柴田勝家と再び政略結婚しますが、柴田勝家は豊臣秀吉との戦いに敗れます。
そして、お市の方とともに自害する運命をたどるのです。
浅井長政とお市の方とのあいだには、茶々、初、江(ごう)という三姉妹がいました。
三姉妹は柴田勝家とお市の方が最期を迎える際に、城から脱出させられ生き延びます。
3人の娘たちは「浅井三姉妹」と呼ばれ、両親を失いながらも、それぞれ日本史に大きな影響を与える存在となります。
茶々は豊臣秀吉の側室となって豊臣秀頼を産み、初は京極家に嫁いで名門を支え、江は徳川秀忠の正室として3代将軍徳川家光の母となり、徳川家に貢献します。
政略結婚から始まったにもかかわらず、深い信頼を築いた二人の姿には深い感動を覚えます。
二人が命を懸けて守ろうとした三姉妹が、それぞれ日本史の重要局面へ繋がっていったことには歴史の不思議な縁を感じずにはいられません。
浅井長政のゆかりの地:小谷城跡、姉川古戦場
浅井長政のゆかりの地は、現在の滋賀県北部にあたります。
なかでも象徴的なのが、浅井家の本拠「小谷城跡」(滋賀県長浜市)です。
自然の地形を巧みに生かした堅固な山城であり、浅井長政やお市の方、三姉妹の足跡を辿ることのできる人気の歴史スポットとなっています。
また、織田軍と激突した「姉川の戦い」の舞台「姉川古戦場」(滋賀県長浜市)も重要な地です。
静かな川と平野が広がる景観は、かつての激戦を偲ばせ、訪れる者に戦国ロマンを感じさせます。
これらの地を巡れば、浅井家の栄華と滅亡、そして浅井長政とお市の方が紡いだ物語の息遣いを、より身近に感じることができるでしょう。
語り継がれる浅井長政の人生
浅井長政の人生は、戦国の激動のなかで誠実さと優しさ、そして気高さを貫こうとした一人の武将の物語です。
浅井家が滅びても、お市の方との夫婦愛や三姉妹が繋いだ未来は、その物語として語り継がれてきました。
浅井長政の生涯を知ることで、戦国の厳しさのなかにも確かに存在した温かな物語を感じられます。
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