日吉丸(ひよしまる)、木下藤吉郎(きのした・とうきちろう)、羽柴秀吉(はしば・ひでよし)、太閤(たいこう)と、さまざまな呼び方があるのが、豊臣秀吉(とよとみ・ひでよし)です。
噂では、指が6本だったとか?
本当なのでしょうか?
この記事では、豊臣秀吉の指に関して、伝承と史料を頼りに真相に迫ってみたいと思います^^
ルイス・フロイスの『日本史』
ルイス・フロイスの『日本史』には、豊臣秀吉の手に指が6本あったと受け取れる記述があります。
ルイス・フロイスは、16世紀に来日したイエズス会の宣教師(せんきょうし)です。
その著書『日本史』には、戦国時代を同時代の外国人が記した一次史料(いちじしりょう)としての高い価値があります。
国立国会図書館のリファレンス協同データベースによれば、ルイス・フロイス『日本史』第1巻に、そのような趣旨の記述があるとされています。
「ルイス・フロイスが書いた」という点が、〝豊臣秀吉指6本説〟に一定の説得力を与えているのは間違いないでしょう。
ルイス・フロイスから見た豊臣秀吉とは?
ただし、ここで注意したいのは、この記述が正しいかどうかという点です。
ルイス・フロイスは、豊臣秀吉を好意的に思っていなかったという説があります。
織田信長(おだ・のぶなが)を尊敬していたルイス・フロイスは、豊臣秀吉が天下をかすめ取ったと考えていたとしてもおかしくありません。
ルイス・フロイスの記述には、批判的・誇張的な視点が含まれている可能性があります。
『日本史』における豊臣秀吉像はやや誇張された描写が多いことで知られています。
「指が6本あった」という表現も、「常人とは異なる存在」であることを強調する文脈で書かれた可能性を否定できません。
史料が古い
ルイス・フロイスの原著はポルトガル語で書かれていて、現在読めるのは翻訳と編纂を経たものです。
したがって、ルイス・フロイスの記述は、〝指6本説を示す有力な史料の1つ〟ではあるものの、それだけで事実と断定するには慎重であるべきだと考えます。
私には、秀吉という人物がどれほど異質で、強烈な印象を与えていたかを示す、象徴的な記述のように思えます。
前田利家の伝記『国祖遺言』
結論から言うと、前田利家(まえだ・としいえ)の伝記『国祖遺言』(こくそゆいごん)は、豊臣秀吉に指が6本あったとする説を裏づける、きわめて重要な証拠の1つです。
前田利家は、豊臣秀吉にとって、若い頃から行動をともにした、もっとも親しい友人の1人でした。
織田信長に仕えていた尾張時代はご近所さんだったので、家族ぐるみのつき合いをしていました。
その前田利家は加賀百万石(かがひゃくまんごく)の礎を築いた人物で、前田藩の「国祖」(こくそ)です。
『国祖遺言』は、〝国祖の前田利家公が、こんなことを言っていました〟という形で成り立っています。
ですから、豊臣秀吉に関しては〝外部の噂〟ではなく、とても身近な人物による目撃証言として扱われてきました。
『国祖遺言』のなかには、豊臣秀吉の指が多かったことを前提とするエピソードが記されています。
このエピソードは、2人が親しくなければ書けない内容です。
身体的な特徴の話題を率直に口にできる関係だったことがうかがえます。
さらに注目に値するのは、立場も文化もまったく異なるルイス・フロイスの記述と一致している点です。
日本側の親友の証言と、外国人宣教師による外部記録が合致することで、指6本説の信憑性(しんぴょうせい)は一段と高まります。
もっとも、『国祖遺言』は前田利家の自筆ではなく、前田利家が家臣に語った言葉や物語を、前田利家の三男である前田知好(まえだ・ともよし)が筆記したと伝えられています。
そのため、「一次史料そのもの」と断定することには慎重であるべきでしょう。
それでもなお、具体性をもったエピソードは、完全な創作として切り捨てることはできないと感じます。
姜沆の『看羊録』
姜沆(カン・ハン)の『看羊録』(かんようろく)にも、豊臣秀吉の指の本数に関する言及があります。
姜沆は、朝鮮の儒学者(じゅがくしゃ)で慶長(けいちょう)の役で捕虜となり、日本に連れてこられました。
姜沆は1597年から数年間、日本の政治や社会、為政者(いせいしゃ)の姿を観察しました。
『看羊録』のなかで姜沆は、豊臣秀吉の出自や人物像に触れていて、〝生まれたとき、右手に指が6本あった〟という記述があります。
注意が必要なのは、姜沆自身が秀吉の手を直接見たわけではない、という点です。
姜沆が日本に来た翌年に、豊臣秀吉は没したため、この記述は当時の日本で語られていた話を記録した伝聞(でんぶん)情報と見るのが自然でしょう。
ただし、この点を理由に『看羊録』の価値が下がることはありません。
むしろ、日本国内での情報が、外国人の記録として残ったことに意味があると感じます。
さらに重要なのは、この内容がルイス・フロイスの『日本史』や、前田利家に関わる『国祖遺言』と一致している点です。
立場も国も異なる複数の史料が、同じく〝豊臣秀吉の右手の6本指〟に触れていることは、偶然とは考えにくいでしょう。
『看羊録』単体では決定的証拠とは言えません。
しかし、他の史料と合わせて読むことで、豊臣秀吉の指6本説が当時広く知られた身体的特徴であった可能性を補強していると、私は考えます。
豊臣秀吉は母指多指症だった?
このように見てくると、豊臣秀吉の右手が6本指だった可能性はかなり高いと思われます。
豊臣秀吉は先天的(せんてんてき)な母指多指症(ぼしたししょう)だったのではないでしょうか。
母指多指症とは、親指が二本あるなど、生まれつき指が多い状態を指す医学用語です。
とはいえ、母指多指症という医学用語を用いることで、豊臣秀吉の指6本説は、あたかも医学的に裏づけられた事実のように扱われます。
つまり、後世の推測に医学用語が適用されたことで、事実のように見える説がつくられたのではないかという疑念も感じざるをえません。
いったい豊臣秀吉は本当に母指多指症だったのでしょうか?
可能性は高いですが、謎は残ります。
豊臣秀吉は本当に指6本だったのか?
ここまで、伝承と史料を見てきました。
結論として、豊臣秀吉が指6本だったと断定できる史料は存在しません。
私見ですが、この噂は、豊臣秀吉という人物の特異な出自と、異例の出世が生んだ一種の象徴表現のように私には思えます。
農民から天下人へ。
常識外れの存在だからこそ、身体までも常人と違う、そう語られても不思議ではありません。
指6本説は事実かもしれませんが、豊臣秀吉という人物を語るための伝承の要素が含まれているのかもしれません。
そう考えると、この噂自体が、豊臣秀吉が稀代の英雄であったことを物語っているように、私には思えるのです。
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