「天才仏師」と呼ばれた運慶のデビュー作は、奈良の山間の円成寺(えんじょうじ)にひっそりとたたずんでいます。
その名は、大日如来坐像。
どのような経緯で造られ、どのような特徴があるのか、わかりやすく解説します。
円成寺・大日如来坐像でわかる運慶の意識
運慶のデビュー作である大日如来坐像(国宝)は、奈良県の円成寺の相應殿(そうおうでん)に安置されています。
もともとは多宝塔の本尊でしたが、2017年12月に相應殿へ移されました。
なぜ大日如来坐像が運慶作品だとわかるかというと、台座の裏に「大仏師康慶実弟子運慶」(大仏師・康慶の実の子どもで弟子である運慶)と書いてあるからです。
それまでの仏師は、自分が造った仏像に名前を記すことはありませんでした。
大工が、自分が建てた家だからといって、その家に名前を書き残すことがないのと同じことでしょう。
でも、運慶は違いました。
運慶が仏像に名前を書き残したのは、たんなる職人にとどまらず、アーティスト(芸術家)としての意識も持ち合わせていたからではないかと考えられています。
また、運慶にそうした意識があったのは、この大日如来坐像を運慶が1人で造り上げたことも関係しているかもしれません。
それまでの仏像制作といえば、チームを組んで行なっていました。
一方の運慶は、父・康慶の指導を受けながらとはいえ、1人で造ったらしいのです。
当時、同じくらいの大きさの仏像は約3ヵ月で完成したようですが、台座の墨書によると、運慶は約11ヵ月かけて完成させています。
異例の長さです。
つまり、1体の仏像をすべて1人で丸々、時間をかけ、細心の注意を払って、ていねいに念入りに造ったことが、作品への愛着を生み、「オレの作品!」という意識を持つにいたったのかもしれません。
運慶の若き情熱を感じますね^^
円成寺・大日如来坐像の特徴
円成寺・大日如来坐像の特徴①玉眼
そんな円成寺の大日如来坐像は、それまでの仏像とは異なる特徴を持っています。
まず、眼が玉眼(ぎょくがん)であることです。
玉眼とは、眼に水晶を入れることです。
玉眼の生みの親は運慶ではありませんが、運慶作品を特徴づける技法です。
運慶は円成寺・大日如来坐像にも玉眼を用いましたが、たんなる玉眼ではなく、黒目の周囲に赤い縁取りがされています。
それが、まるで生きている人間の眼であるかのように見える効果を生み出しています。
ちなみに、私は2017年に東京国立博物館で開催された「運慶展」で円成寺・大日如来坐像を観ましたが、その眼で見つめられると、背筋がピンと伸びるような緊張感を感じました。

円成寺・大日如来坐像の特徴②姿勢
2つめの特徴は、姿勢です。
運慶の円成寺・大日如来坐像は、若々しさが感じられるハリのある肉体で、やや反り気味に背筋が伸びた美しい姿勢をしています。
そして、肘と胸を張り、手は高い位置で智拳印(ちけんいん:金剛界大日如来が結ぶ印)を結んでいます。
この姿勢が持つ緊張感は、当時の主流だった「定朝様」(じょうちょうよう)の仏像の静かに落ち着いた雰囲気とは明らかに異なっています。
円成寺・大日如来坐像の特徴③繊細さ
3つめの特徴は、造形の繊細さです。
髪の毛は1本1本自然なふくらみをつけて彫り出し、衣のひだはまるで本物であるかのようにていねいに刻まれています。
身につけた装飾も細やかな造りです。
そうした繊細さがもっともよく表れているのが、足の裏です。
それまでの仏像の足の裏は、平たい板に指をくっつけただけというような形状でした。
一方、円成寺・大日如来坐像の足の裏は、1本1本の指に肉感的なふくらみがつけられ、ぷっくりとした親指のつけ根、土踏まずやかかとが、まるで本物の人間の足の裏であるかのように、自然に美しく造られています。
運慶研究の第一人者である山本勉氏は、これを「世界一美しい足の裏」と呼んでいます。
私は「運慶展」を観に行ったとき、足の裏のことは知らなかったので、まるで注目して観ていませんでした。
知っていれば、よく観たのに……
いつか円成寺へ行ったときには、穴があくほどよ~く観察したいと思います^^
円成寺・大日如来坐像はむかし金ピカだった
円成寺・大日如来坐像の高さは93.4cm。
全体的に、表面は金箔(きんぱく)が剥げて下地の漆(うるし)が見えています。
それはそれで味があっていいのですが、完成当初は金箔に覆われ、ピカピカと輝く容姿だったはずです。
完成直後の金色に輝く円成寺・大日如来坐像を観てみたかったですねー^^
……と思ったら、多宝塔には大日如来坐像の模刻「平成の大日如来坐像」が安置されているとのこと。
2017年3月に奉安されました。
造像したのは藤曲隆哉(ふじまがり・たかや)氏で、東京藝術大学大学院修士課程に在籍中、仏像修復の技術を学ぶ一環で模刻を始めたそうです。
この模刻像が金ピカで、完成当時の大日如来坐像を想起させる作品となっているようです。
これもぜひ観てみなければいけませんね。
円成寺・大日如来坐像はなぜ運慶が造ったのか?
さて、運慶のデビュー作である大日如来坐像が安置されている円成寺は、諸説ありますが、遅くとも1026年に十一面観音を祀ったのが始まりとされています。
本堂の本尊は阿弥陀如来坐像で、運慶の大日如来坐像は多宝塔の本尊として造られました。
なぜ運慶が大日如来坐像を造ることになったのでしょうか?
一説によると、多宝塔は後白河上皇から寄進されたと伝えられているのですが、奈良仏師で運慶の父・康慶は後白河上皇と近い関係にあり、康慶は子・運慶に造像を任せたからということのようです。
上皇に関わる造像を任された運慶は、どのような心境だったのでしょうか。
「チャンスをつかんだぞ!」と奮い立ち、挑戦者魂で造像に挑んだのではないかと、私は推測します。
上述したように、現在、大日如来坐像は多宝塔から相應殿に移されています。
多宝塔に安置されていたときはガラス越しに正面からしか拝観できませんでしたが、相應殿ではいろいろな方向から拝観することができます。
2017年の運慶展ではよく観ることができなかった運慶のていねいで繊細な仕事ぶりを、ぜひまた間近で観察してみたいものです^^
円成寺の概要
まとめ
- 運慶は職人を超えてアーティストの意識を持った仏師だった
- 円成寺・大日如来坐像の特徴は、玉眼、姿勢、繊細さにある
- 円成寺には造像時の大日如来坐像を想起させる模刻像がある
- 運慶は後白河上皇と関係があった父・康慶から造像を任された可能性がある
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