『三教指帰』のあらすじをわかりやすく解説

空海 空海

【この記事でわかること】

  • なぜ空海は『三教指帰』を書いたのか?
  • 儒教、道教、仏教を比較した『三教指帰』はどのようなあらすじなのか?

『三教指帰』とは?

『三教指帰』(さんごうしいき)は、空海の処女作で、戯曲仕立ての比較宗教論です。

空海(幼名は真魚)は、12歳で地方役人を養成する学校へ入学し、15歳のころに誘いを受け、平城京へ上京。

桓武天皇の皇子・伊予親王の侍講(家庭教師)を務めていた叔父・阿刀大足(あとのおおたり)のもとで儒教を学び、18歳(791年)のときに大学(官吏になるための教育機関)へ入学するという超エリートでした。

ところが、空海は大学に満足できず、徐々に仏教へ心を傾けていきます。

そして、19歳のとき、大学を中退して世俗での出世の道を捨て、出家します。

このとき、空海は、親族や知人から、親兄弟を捨てて出家することを強く非難されました。

周囲からかなり期待されていたと思われるだけに、空海への非難は相当なものだったのでしょうね。

空海はつらかったと思います。

この非難に応える形で、空海が24歳のときに書いたのが、『三教指帰』です。

「三教」とは儒教、道教、仏教のことで、この3つの宗教を比較し、仏教がもっとも優れていると主張したのです。

空海は、仏教の道へ進むことの正当性をなんとかして説得したかったのだと思います。

なお、最初の書名は『聾瞽指帰』(ろうこしいき)でしたが、40〜50歳のころに序文と本文最後の「十韻((じゅういん)の詩」を改訂し、題名を『三教指帰』に改めたと考えられています。

また、「聾瞽」というのは、目が見えず耳も聞こえない人のことで、転じて、煩悩によって物事の本質が見えない凡夫のことを言っています。

『三教指帰』の内容は戯曲仕立てで、亀毛先生(きもうせんせい)という儒教者、虚亡隠士(きょぶいんじ)という道教者、仮名乞児(けみょうこつじ)という仏教者がそれぞれの主張を述べ、蛭牙公子(しつがこうし)という若者がそれを聴くという設定になっています。

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『三教指帰』の舞台

『三教指帰』の舞台は、兎角公(とかくこう)という人物の屋敷です。

経済力と教養がそこそこある中級貴族で、人の言うことにすぐに納得してしまう善良な人物のように描かれています。

今の世の中にもいそうな人ですね(笑)

この兎角公は、性格が荒く、礼儀知らずな甥(おい)の蛭牙公子のことを心配しています。

一方で、蛭牙公子は、伯父の兎角公に似て、言われたことに簡単に納得する性質も持ち合わせています。

根は素直だけど粗野な蛭牙公子みたいな人って、今の時代にもいますよね。

あるとき兎角公の屋敷に、儒教者の亀毛先生がやってきます。

そこで、兎角公は、甥の蛭牙公子をなんとかしてほしいと亀毛先生に頼んだのでした。

兎角公は、蛭牙公子を矯正するチャンスだと思ったはずでしょうね。

『三教指帰』第1章:儒教者・亀毛先生の主張

亀毛先生は、蛭牙公子に向けて、およそ次のように語りました——

蛭牙公子よ、おまえは両親をないがしろにし、周囲の者たちを見下し、人の気持ちを考えることなく、欲望のままに遊び戯れている。
それでは木や石や獣と同じで、人生はむなしいだろう。
ここで心を入れ替え、親孝行や忠義や学問に努めれば、世間から認められ、名声を得ることができる。
だから今こそ、仁、義、礼、智、信の5つの徳に即した生活を心がけ、学問に励むのだ。
学問に励めば、栄達への道が開け、名声を得て、歴史書に記されるような政治家となり、後世まで称えられるはずだ。
それこそが素晴らしい人生というものだ。
そして、よき妻を伴侶としなさい。

この亀毛先生の主張に、蛭牙公子はもちろん、兎角公もすっかり納得します。

亀毛先生はドヤ顔だったにちがいありません(笑)

『三教指帰』第2章:虚亡隠士の主張

次に、道教者の虚亡隠士が現れます。

虚亡隠士は、亀毛先生に対して、人の欠点を暴いてもなんにもならないと批判します。

そして、3人の前で、およそ次のように語りました——

神仙術を身につけていくと、財産や地位といった世俗のものに振り回されることはなくなっていく。
また、欲望を捨て去っていけば、無為の境地にいたり、世俗のことなどどうでもよくなる。
そして、世俗への執着を離れ、仙人になるための修行法である「仙道」を極めれば、姿を消したり、水の上を歩いたり、鬼を操ったり、天に昇ったりすることができる。
それだけではない。
姿を変えたり、寿命を自由に伸ばしたりすることができる。
そんな仙人になることができれば、世俗の栄達など実にはかないものだ。
とすれば、儒教が説くことと道教が説くことは、どちらが優れていると言えるだろうか。

この虚亡隠士の主張に、今度は亀毛先生を含めた3人が、すっかり納得してしまいます。

虚亡隠士は、亀毛先生以上にドヤ顔だったにちがいありません(笑)

『三教指帰』第3章:仮名乞児の主張

最後に登場するのが、仏教者・仮名乞児です。

兎角公の屋敷の前を通りかかったとき、亀毛先生と虚亡隠士の主張を偶然、耳にします。

仮名乞児には、亀毛先生と虚亡隠士の主張は不毛に聞こえました。

そこで仮名乞児は、まず大乗仏教の宇宙観や人生観について書いた手紙を渡しました。

すると、亀毛先生と虚亡隠士は、その雄大さに圧倒され、すっかりおとなしくなってしまいました。

2人は実に神妙な顔つきだったにちがいありません。

次に仮名乞児は、地獄と天国、そして釈尊について説明したあと、「無常の賦」(むじょうのふ)を聞かせました。

その内容は、私たちが生前どんなに美しく、また贅(ぜい)を尽くしていても、死をまぬかれることはできないし、死んだあとは魂(?)が地獄へ行き、そこで過酷な責めを受け、苦しみ抜くことになる、というものでした。

「無常の賦」を聞いた亀毛先生と虚亡隠士は、失神したり悶絶したりしてしまいます。

仮名乞児の話は、2人にかなりのインパクトを与えたということでしょう。

しかし、状態が落ち着くと、自分たちの生きる道が浅い真理にしかすぎなかったことに気づき、今度は仮名乞児に仏の教えを請います。

そこで仮名乞児は、「生死海(しょうじかい)の賦」を聞かせ、人びとが本能のままに快楽を求め、他をかえりみない生き方をし、生死海という迷いの世界から抜け出せないありさまについて明らかにします。

また、迷いの世界から抜け出すには菩提心(ぼだいしん:悟りを求める心)を起こし、涅槃の安らかな境地にいたるしか道はないことを教え諭しました。

そして最後に、「十韻(じゅういん)の詩」を紹介して、書を締めくくります。

「十韻の詩」は、およそ次のような内容です——

儒教も道教も仏教も、夜の闇を破り去るように人びとの暗い心を取り除く。
人びとは多種多様なので、心の闇を取り除く医王(釈迦如来)は、医師が症状に応じて治療法を変えるように、その対応法を変える。
君臣、父子、夫婦の「三綱」(さんごう)と、仁、義、礼、智、信の「五常」(常に行うべき5つの徳)は孔子が説いたもので、これらは大学で学ぶ。
変転を説く道教は老子が説いたもので、道観(道教の学校)で学ぶ。
どんな者も、獣や鳥たちでさえ悟って仏になることができると説く仏教は、教理も利益も奥深い。
感覚と認識の世界は無常で「迷いの海」であり、その彼岸にそびえる涅槃(悟り)の世界こそが私たちの目標なのだ。
この世は私たちの自由をさまたげる束縛であることはわかっているのだから、官位を捨て去らないことが本当によいことなのだろうか。

この詩には、仏教の悟りを求めて出家することが人生最高の道なのだという空海の強い主張が込められていると思います。

と同時に、仏の道を選んだ自分の選択は間違っていないのだと、自分を非難する人たちに反論するとともに、正しい選択をしたと自分自身に対して激励しているのではないでしょうか。

まとめ

  • 『三教指帰』は、大学を辞めて出家した空海への非難に応える目的で書かれた
  • 『三教指帰』は、儒教、道教、仏教を比較して、仏教がもっとも優れていることを示している

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